乙野四方字(おとのよもじ)「僕が愛したすべての君へ」と「君を愛した一人の僕へ」を読んだ。
言葉あそびのようなタイトルだが二冊読んだ後はこのタイトルがグッとくるのだ。
主人公はどちらも暦という名の男の子。
僕愛(って略すんですって)の方の暦は「両親の離婚時には母親についていった人生」をあゆみ、君愛のほうの暦は「父親についていった人生」を歩む。
人生はいつも選択の連続で、両親の離婚時という分岐点からどんどん枝分かれして、時間が経てば立つほど別の選択をした世界、つまり並行世界が増えていくのだ。
物語は、この世界には複数の並行世界が存在しており、隣のレイヤーくらいならわりと頻繁にシフトしてしまう。ということが明らかになった世界。
(今まで気づかなかっただけで、あれ?こんなとこに置いたっけ?とかそういう些細な違和感の正体はこの並行世界へのシフトなのだ)
ちなみに、認知症の物忘れとは「結構遠くの世界」に「割と頻繁に」行ってしまっているだけらしい。
それであれば死とは今までの自分の世界に帰ってこれないだけで、別の世界に行くだけ。そう考えれがば希望しかないではないか。
さて「僕愛」と「君愛」は別の選択を選びつづけた暦のお話。
通常でも並行世界へちょいちょいシフトしているということは、結婚相手が本当に愛を誓った人なのか、それとも隣の世界から来た人かわからない世界とも言える。
もちろん愛を誓っただけではなく、犯罪者が別の世界に逃げ込むこともできるのだが、そのあたりの別の世界に移動する機械であるとか、ココが自分の世界なのか、それともちょっと別の世界に飛んでいるのか確認する機械なんかもちゃんとある。
SFだからね。
僕愛では、隣に座る「君」がたとえ「別の世界の君」であろうとも「全て愛する」と決めたところが素晴らしいし、
君愛では、「交通事故で死んでしまった一人の君」が死なない世界をひたすら探し続けるところが切ない。
君と僕が出会ってしまう世界では必ず君は死んでしまうことを思い知り、愛する君と自分が出会わない選択肢を選び続けるのだ。
この話「あなたはどちらから読む?」というキャッチコピーがついていたが、たしかにどちらか読んでも物語が成立している。
私は「僕愛」から読んだほうがよいと思ったが、たしかに最後にほっこりして終わるの悪くないので逆でも良かったかもしれない。
とにかく2つの話はリンクしていて、読み終わった時点でお互いの伏線が回収されるしくみになっている。
こんな面白い話よく考えつくな。と思う。
思って、検索をかけたらどうやらつい最近映画化されたようなのだ。
Audibleで読める(聞ける)のでぜひ。
余談だが最近のAudible、SFが充実しているきがする。
うーん。ポエム感がすごくて・・・もう一回聞いていい?って感じだ。
そして、私完全にこれと混同して作者マイケル・ムーアだとおもっていた。
トランプ・・・