中島らもの『今夜すべてのバーで』を読んだ。
中島らものいまさらことを見直した。ずっと“サブカルの人”という漠然としたイメージしかなかったけれど、この作品はヒリヒリとした肌触りの私小説。
読んでいるうちに「ああ、これが“らもワールド”か」と腑に落ちた。
没後も熱烈なファンが多いことにも納得する。
レビューに「太宰が好きなら読むべし」と書かれていたけれど、たしかに――。
アルコールを“道具”として使い始めたら(たとえば寝る前のナイトキャップのように)、それはもうアル中なのだという。
主人公の小島容(いるる)は、著者自身が色濃く投影された人物だ。
連続飲酒によってシラフの時間がなくなり、とうとう緊急入院。
「35歳で死ぬ」と思い込みながら生きてきた彼は、自ら病院に足を運び、酒が抜けた頭で初めてじっくりと思索する。
同室の男・福来は、自分よりもさらに依存が進行していて、「酒を飲んで死ぬか、飲まずに生きるかなら、飲んで死ぬ」と言い切る刹那主義者。入院中もこっそり酒を飲んでいる。
一方、主治医の赤河は小島に対し、「あんた、自分が特別だと思ってるだろう」と言い放ち、「その命を(夭折した少年に)くれてやれ」とも。
福来と赤河――どちらも中島らも自身なのかもしれない。
片や刹那主義、片や自虐と省察。相反するようでいて同根の精神。
小島の親友の妹・さやかは、命を手放そうとする彼を言葉で力強く引き戻す。彼女の叱咤が功を奏し、物語は小島の退院と、「ミルクをストレートで」という注文で静かに幕を閉じる。
とはいえ小島自身が恐れていたように、彼がこの先一生酒を断ち続けられるとは思えない。
そして――作者本人も52歳で泥酔し、階段から落ちて亡くなっている。あまりに作品とリンクしていて、こんな言い方は語弊があるかもしれないけれど、そこにあるのは“スタイルを貫いた最期”という印象。
だからこそこの作品は、人を惹きつけてやまないのだろう。
依存症はゼロか100か。
一滴でも飲めば、その人はもうウツボカズラの落とし穴の入り口に足をかけているのだと聞いたことがある。一滴でも飲めば、いつ奈落に転落するか分からない。
もしかすると私も、あの緩やかな曲線の終わりに差しかかっているのかもしれない――、あのしたのビチャビチャした液に浸かるのはいやだなぁ。
ただ、この物語は「アルコール依存症は怖い」という単純な警鐘にはならない。あまりにも軽妙で、それでいて格好よくて、小島容の破綻がかっこいいのだ。
――みんなが「らもといえばこの作品」と言う理由、よく分かった気がする。
すべての酒飲みに捧げるアル中小説
「この調子で飲み続けたら、死にますよ、あなた」
それでも酒を断てず、緊急入院するはめになる小島容。
ユニークな患者たちとの会話や担当医師との対話、
ときおり訪れる、シラフで現実と対峙する憂鬱、
親友の妹が繰り出す激励の往復パンチ――
実体験をベースに、生と死のはざまで揺らぐ人々を描き、
吉川英治文学新人賞に輝いた著者の代表作が新装版になって再登場!
次に読みたい本
飲まずに生きるか、飲んで死ぬか。アル中は怖い、怖いけど飲むと楽しい体質の私は、死ぬまで飲まない、ってのはできないだろうなぁ。