厩戸王子(聖徳太子)と蘇我毛人(蘇我蝦夷)を中心に、主人公である厩戸王子が少年時代を経て、摂政になるまでを描く。聖と俗、男と女という矛盾を抱える厩戸王子の圧倒的な存在感に加え、厩戸王子を天才・超能力者・同性愛者として描く斬新さが特徴。厩戸王子には超能力を持っているとでもしなければ説明できないような逸話が『聖徳太子伝暦』などに残っており、これはこうした伝承・伝説を積極的に採用したものである。
いやー久々にマンガの一気読みした。
話題作でなくて申し訳ない。が、傑作は色あせない。
聖徳太子といえば(昭和の社会科では)「一万円札の人」で「十人同時に話しができた人」というイメージだが、最近「聖徳太子はいなかった説」があることは知っていた。
先ほど検索したら「一人でやった仕事としてはすごすぎるから」みたいな理由だったのでぎゃふんだ。いやいや、こちらのマンガよんでみるがよろしい!
皇子は超能力者だからね。やれる。
この漫画のすごいところは、当時少女漫画としてここまでいろんなタブーの話を描き切ったところだ。
同性愛や近親婚、そして障碍者との性の話など話題にするのが難しいテーマを少女漫画という分野で描き切っている。
厩戸王子(聖徳太子)はあまりにも美しく、あまりにも孤独で、しかし天才すぎて近寄りがたい。
素直に人を愛することができない、それは愛した人が同性だったからだけではなく、母親への愛情も表現がドヘタすぎて、最後の最後まで読者にすら気づかせない。
毛人(えみし)に振られた皇子が最終的に彼が妻とした人は、母親にそっくりの人(しかし明らかに障害を抱えた意思疎通できない身分も低い人)
「お母さんの大好きやったんかーーーい!」とせつなさに身もだえる。
あんなにも愛情表現のヘタクソな皇子が、最後にそれはそれはストレートに毛人に「好きだ」と言った時、この話が30年以上前に書かれていたことも忘れて誰かと話したくなった。(仕方がないので娘に読ませた)
マンガをよんで「~~~~~!」って足をバタバタさせたくなる気持ち、ほんとに久々だった。
毛人も、「二人が共に男として生まれたのは一緒になってはいけない運命だからだ」と拒絶をする。
せつないよ!せつなすぎてなんか涙とともになんかしらの刹那汁(?)が出るよ!
山岸涼子って、それこそ物心ついたところからいるし正直良さがわかってなかったのだが、何をもって敬遠していたのか全く分からん。若き頃の自分の不明を恥じるわ。
大御所中の大御所は今年、自身の作品の電子書籍化を許可した模様。
これで、探し回らなくても手に入るようになる~