高橋繁行の「土葬の村」を読んだ。
これは恐らく、現存する最後といっていい土葬の村の記録である。
村人は、なぜ今も「土葬」を選ぶのか?
日本の伝統的な葬式である「土葬・野辺送り」が姿を消したのは、昭和の終わり頃とされている。
入れ替わるように火葬が増え、現在、日本の火葬普及率は九九・九%を超える。
土葬は、日本の風土から完全に消滅してしまったのだろうか。
筆者は「土葬・野辺送り」の聞き取り調査を三十年にわたって続け、平成、令和になっても、ある地域に集中して残っていることを突き止めた。
それは大和朝廷のあった奈良盆地の東側、茶畑が美しい山間にある。
剣豪、柳生十兵衛ゆかりの柳生の里を含む、複数の集落にまたがるエリアだ。
日本人の精神生活を豊かにしてきた千年の弔い文化を、まだ奇跡的に残る土葬の村の「古老の証言」を手がかりに、詳らかにする。
この本が発行されたのは2021年。ほんの数年前まで99.9%が火葬されるこの日本に、まだ土葬されている人がいる事自体が驚きだ。
土葬の文化がまだ残る土地での聞き取り調査などとても興味深い話がおおい。
自分が死んだらやっぱり土葬にしてほしいという方に理由を問うと「だって熱いから」ってなんかめちゃくちゃ納得。
土葬の文化が色濃く残るこの地ではむしろ「火葬は故人がかわいそう」という気持ちもあるみたい。
ただ、現代の日本では「焼かれたくないから土葬希望!」って言ってもなかなか困難のようで、まず法律では禁止されていないが(条例違反の土地はあり)受け入れてくれる霊園や墓地が極めて少ないらしい。
そして、土葬は場所を取る!確かに骨壺にくらべたら数年間は畳1畳分くらいの土地を専有するわけだから、縁起でもないが家族から立て続けに死者が出た場合など墓地の場所が都合がつかない場合もあるのだ。
また、土葬するとご遺体が土に帰ったときに土中に隙間ができて危ない。
そのため一部の地域ではある程度経ったら一回棺桶をひらいて土を入れ直す儀式みたいなのがあるらしく、なかなか衝撃的な場面にそ遭遇することになるのだそうだ。
ただ、現在でも「土葬にこだわる」人たちが互助グループのようなものを立ち上げていて、生前から場所を確保しているらしいので、どうしても熱いのは嫌で腐っても土葬がいい人はそこに加盟するという手もある。
ただ、土葬OKな場所は本当に日本に数か所もないので、死んでもすぐには腐らないように処置をしてもらい、そこまで運んでもらわないといけないらしい。
なかなかの手間なので、よっぽどくどくど念を押さないと遺族に反古にされそう。
ほかにも、沖縄では風葬を行っていた話や、焼くことは焼くけど「野焼き」の地域があるとか様々なエピソードが出てくる。
よく考えたら今みたいにちゃんときれいに焼ける様になるまでも何千年も連綿と一端に続けていたのだ。
いろんなバラエティの処理方法が編み出されるというもの。
死なない人間はいないのだから、自分が死んだときのことを考えるのは大事なことじゃないかしら。
最近ではみな、終活なんつって色々やっているけれどまさか焼かれ方まで指定する人はそんなにいないとおもう。
私だったらどうだろう。
会ったことがないお姑さんの墓にいきなり入れられるのはちょっとねー
だったら、海にまくなり森にまくなりしてほしい。死体遺棄事件にならない程度で。
戒名も、とくに信仰もないので初めてあったお坊さんにお金払ってつけてもらくらいだったら自分でいい感じのを決めておきたい。
セオリー通りじゃなくてもいいなら、ダイヤモンド☆ユカイみたいなかんじで間に★とか入れてかわいくしてキーホルダーとかにして親族に配る。(いらんか)
あと、葬式のあとは楽しく飲んでくれたらいいねー
仏壇も今どきそんな時代じゃないからもう少しコンパクトななんか、箱根の寄木細工的なものでよかろう。流行んないかな、箱墓。
次に読みたい本
何でも探偵になる時代だが、葬式探偵もおったーーー!主人公は民俗学の教授とのこと。いいね、民俗学興味深いわ~
今日読んだこの本も民俗学者柳田國男のこの本からの引用が多い。