梅崎春生の「ボロ家の春秋」を読んだ。
第32回直木賞を受賞たこの小説は1954年発表なので、かれこれ70年!も前の小説だ。
ある夫婦に騙されて互いに見知らぬ二人の男が奇妙な共同生活を送る様子を描いているのだが、仲良くないというか、むしろ憎みあっさえいるのに何故か共同生活を続ける二人がユーモラスで、なんとも独特な読後感。
そもそも、電車の中でスリから助けた男と飲みに行き、そのままあれよあれよとその男の家に間借りを決めてしまう。
その後に、肝心のその男に夜逃げされて、何故か知らない男と同居する羽目になる主人公。
その後も、自分の住む家の所有者がいないのに、何故か台湾人に家賃を払うことになったり、挙句は、立ち退きを迫られたりしているが、そんなことより同居の男のとのバトルの方が大事になってきちゃって、なんと言うか…滑稽?のんき?
あの時代の胡散臭さや、スピード感がなんともよく書かれているのだ。
こだわるところはそこじゃないだろ、と突っ込みたくなるが、ある意味これは奇妙な友情なのかもしれない。
梅崎春生の筆致は軽妙でありながらも深くて、なんかそういうこともあるよねーと納得しちゃうのであった。
それにしても、虫下しチョコレートと庭の小松菜の話はニヤニヤが止まらなかったよ。
控え目に言ってもサイテーな闘いだ。
気になる人は青空文庫でも読めるようなのでぜひ。
次に読みたい本
表紙のタコが最高だわ。
月曜日はぼんやりして帰りに最寄り駅で降りそこなった。
年に数回あるのだが、よくよく考えると40代の頃はなかったかもしれぬ。
夢でもよく乗り過ごして、戻るがその方向でも乗り過ごし、なかなか最寄り駅で降りられないというのをみるのだが、夢判断的にはどうなのか?
というか、認知機能検査的にどうなのか。