直木賞候補であった麻布競馬場の「令和元年の人生ゲーム」を読んだ。
突飛な筆名の覆面作家が新聞に掲載されているのを見たよ。
このペンネームとこの表紙から、なんだか新しすぎて私にはわからないんじゃないの?と疑りながら読み始めたのだが、意外とまとも、というかとても切ないストーリーだった。
せつない、と書いたけど本当は「怖い小説だった」と書こうか悩んだんだよね。
物語は「沼田さん」を軸にした連作短編。それぞれの短編の語り部は変わるのだが、どの話も「沼田さん」というキーパーソンを「どうしても考えちゃう」人たちが、学生時代、新人時代、中堅時代、会社をやめた後の「沼田さん」の人生のステージに寄り添って語っていく。
正直、最初の沼田さんの印象は結構悪い。
だが読み進むうち「沼田さんへのリスペクト」みたいなものが生まれて、そして最後は学生時代の事件を全然乗り越えきれていなかった(んじゃないかなと、私は思うのだが皆さんはどうでしょう?)沼田さんの喪失感とか悲しみとか、そこまで囚われていることへの恐怖とかで、胸が詰まる思いがするんだよねー
下のあらすじを読んでこういうのを「解像度が高い」ということを知る。
流行りの言葉だけど、まあ私の理解では「リアリティがある」とか「よく書けている」とか言うのだろう。
Twitter文学とかタワマン文学とかちょっと聞いたことない煙幕でビビったけど、心配しなくても、ちゃんと楽しめたし、むしろ突飛なところとかは何もなくて好感が持てる小説だった。
上司にとってはZ世代の取り扱い説明書、と書いてあったけどなるほどね。
少なくとも「沼田さん、頑張れよ!」と発破をかけるのは全く意味がないことはなんとなく理解した。
っても言っちゃうのが、いわゆる上司世代の私達なんだろうな。
でも、世代など関係なく若い頃は青臭いことをいうやつもいるし、いっぱい悩むし、そういう意味では表現する単語は変わったけど本質的には変わんないんじゃないのかな、と思った。解像度っていう言葉と同じで。
あれ、今自分でもすごくいいこと言っちゃった気がする。
私達の学生時代にも正論とか青臭いこととか言う人はいっぱいいたけど、あれが今で言う「意識高い系」なんじゃない?
なあんだ、そういうことなら恐れるに足らずだな。
(でも作中で沼田くんは「なんでも本質は変わらない」とかいうのはあなた達の良くないところだ。とZ世代の意識高い学生に軽くジャブを食らってたけど)
さすが、直木賞候補に上がっただけある、こういう言い方が正しいのかわからないけど「極めてオーソドックスな小説」であった。(もっとキワモノかと思ったんだもーん)
「まだ人生に、本気になってるんですか?」
この新人、平成の落ちこぼれか、令和の革命家か――。「クビにならない最低限の仕事をして、毎日定時で上がって、そうですね、皇居ランでもしたいと思ってます」
慶應の意識高いビジコンサークルで、
働き方改革中のキラキラメガベンチャーで、
「正義」に満ちたZ世代シェアハウスで、
クラフトビールが売りのコミュニティ型銭湯で……”意識の高い”若者たちのなかにいて、ひとり「何もしない」沼田くん。
彼はなぜ、22歳にして窓際族を決め込んでいるのか?2021年にTwitterに小説の投稿を始めて以降、瞬く間に「タワマン文学」旋風を巻き起こした麻布競馬場。
デビュー作『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』のスマッシュヒットを受けて、
麻布競馬場が第2作のテーマに選んだものは「Z世代の働き方」。新社会人になるころには自分の可能性を知りすぎてしまった令和日本の「賢すぎる」若者たち。
そんな「Z世代のリアル」を、麻布競馬場は驚異の解像度で詳らかに。
20代からは「共感しすぎて悶絶した」の声があがる一方で、
部下への接し方に持ち悩みの尽きない方々からは「最強のZ世代の取扱説明書だ!」とも。
「あまりにリアル! あまりに面白い!」と、熱狂者続出中の問題作。
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