古舘伊知郎と佐々木閑の「人生後半、そろそろ仏教にふれよう」を読んだ。
古舘伊知郎といえばそうあの、プロレス中継とかF1中継とか報道ステーションで有名な「めちゃくちゃ良く喋る面白いオジさん」だ。
仏教とは全く関係なさそうに見えるが、本人曰く自分は釈迦推しなのだそうだ。
そもそも、日本で主に信仰されている仏教は大乗仏教と言って釈迦の教えとはかなり変わってしまっているらしい。
大乗仏教はたくさんの人を越せることができる船のように、とにかくたくさんの民衆を救う。
誤解を恐れずにいえば最新式の炊飯器みたいに誰でも簡単に信心できるもので、それに比べると釈迦の原始仏教は、お釜で炊いたご飯らしい。
やっぱり人間は人生後半になると老病死に近づいくから、いろいろ考えて信仰に目覚めるのかな?
どんな宗教でも(宗教でなくても)、なんらかの心の拠り所がないと人生は長すぎるのかもしれない。
佐々木閑という人は、仏教学の第一人者らしく調べたらたくさんの本を出していた。
NHKの100分で名著で般若心経を解説したり、手塚治虫のブッタについての本を書いたりしていた。
そういえば、最近80オーバーの父が般若心経を写経し始めた。
バブルの頃はカラオケだゴルフだと言っていたあの父が。
やはり人生後半は仏教が刺さるのだ。
【本書の要点】
●身近な死を実感した古舘氏が人生後半で出合ったのが仏教だった。
●日本では大乗仏教が浸透しているが、本来の仏教は原始釈迦仏教。
●自我をなくしていけば、人生の苦しみが軽減される。
●老・病・死に直面する人生後半こそ、ブッダの教えが効いてくる。
●釈迦の仏教は論理的な真理であり、科学との共通点が多い。
プロレスやF1の実況で人気を博した古舘氏は、なぜ人生後半で仏教に熱中するのか。
老・病・死に向き合い、「生きる意味」を考えるうえで、釈迦(ブッダ)の仏教がヒントになる。
釈迦仏教の碩学である佐々木氏と、自我の抑制に勤しむ古舘氏が、穏やかな心で生きる作法について議論する。
釈迦の話、この本に通じるものがあったわ。
自分とかない、つまりは自我を極限まで削ってゆくことで生きづらさを解決できると説いている。
自分からなるべく遠いところから自分のものだ!という感覚を取り払ってゆく。
流石に自分、家族に対する意識を変えるのは難しいけど、会社、町、市、県、国と徐々に大きくなるに従い、こだわりも薄くしていくべきなのだ。
つまり、自分のために家族のためにはまあ仕方ないけど、お国のためにとなってはいけないよ、という話。伝わりづらいかなー
次に読みたい本
そうそう、ブッタといえば聖おにいさんが映画化されるみたいですねー
楽しみ〜