前から気になっていた岡崎琢磨の「鏡の国」を読んだ。
作中作「鏡の国」というコロナ禍さなかに起こったほぼ真実の事件を元にした小説を、作者没後の西暦2060年に読みかえす。という凝ったミステリー
40年後の世界はほとんどSF的なところも無く、いつかは紙の本を出版するのが新人作家の夢、とか、完全自動運転のタクシーとかそのくらいの、地続きの手堅い未来。
そもそも、鏡の国というタイトルのストーリーは福岡を舞台にした小説で、聞き慣れた地名がたくさんでてきて、読んでいて親近感が湧いてしょうがない。
何なら、私の住んでいる街のとなりの町にまで言及されていて、ひょっとして作者は福岡在住かしら、と疑ってしまった。
調べたよ。やはり福岡出身者であった。そうでしょうそうでしょう。納得。
物語は、「ルッキズム」とか「醜形恐怖症」「相貌失認」などまだあまり人に知られていないテーマを取り扱っている。
私もようやく最近、ルッキズム、ルッキストというものがあると認識したくらい。
人を見た目で判断しちゃいけません!くらいのことは昔から言われてたし、知っていたけど、もっともっと真剣な感じの話だ。
娘と話してると、スッひかれちゃうことがあるのだが、彼女いわく「今の時代にその発言はアウト」らしい。
いや~自分がルッキズムに支配されているとは思いたくない!けど、長らく生きてきた時代の価値観にがっぷり使ってるから「差別と思ってなくても」息を吸うようにいたらんことを言ってしまうのである。
なんというか、美人とかかわいいであるとかを「ほめる」ことすら公式な場ではやめたほうがいいらしく、であればもう無理かも私と思う。
何年か前モデルの水原希子さんが、最も美しい顔に選ばれたときに痛烈に「外見至上主義」について批判していたけど、あれを読んで結構びっくりしたもの。(反対意見ではもちろんないけど、まさしくその発想は私にはなかった。)(もっと言うなら今後も気付けないと思う)
この、「鏡の国」という作中作は他にも「醜形恐怖症」や「相貌失認」を抱えて苦し皆がら生きている人たちが出てくる。
特に、相貌失認は約2%の人々がかかえているらしく、私の友人にも「実は顔覚えられなくてさー」と教えてもらった事がある。
普通にお友達をしてても全く気づかなかったが、彼女も若い頃は写真の彼氏が誰かわからなくて、これ誰?と本人に聞いて泣かれたらしい。
相貌失認患者は程度の差こそあれ結構多いが、自分が相貌失認だと理解している人は少ないらしい。忘れっぽいとか失礼とか言われて、落ち込んでしまう人も多いのだとか。
うーむ、実は私も洋画を見ているとイマイチ誰が誰かおぼえきれず、最終的には髪型で判断して要るような気がするのだが、どうだろうか。これは単に集中力がないだけだな。
そして、このタイトルにもなっている「鏡の国」はルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」から頂いたもので、なぜならルイス・キャロルも相貌失認だったらしいのだ。
他にもこの「鏡の国」というタイトルにはいくつかの意味が隠されている。
これは、本を読む醍醐味だと思うのでここでは言わない。
ただ、あらすじにもあるようにどんでん返しからの~どんでん返し~からのどんでん返し~からの・・・といった感じでひっくり返されたのは何回だろう、というくらい。楽しい読書だった。
反転、反転、また反転――! 本気の「仕掛け」を堪能せよ! 『珈琲店タレーランの事件簿』の著者がおくる、2023年大本命ミステリー。 ●STORY 大御所ミステリー作家・室見響子の遺稿が見つかった。それは彼女が小説家になる前に書いた『鏡の国』という私小説を、死の直前に手直ししたものだった。「室見響子、最後の本」として出版の準備が進んでいたところ、担当編集者が著作権継承者である響子の姪を訪ね、突然こう告げる。「『鏡の国』には、削除されたエピソードがあると思います」――。削除されたパートは実在するのか、だとしたらなぜ響子はそのシーンを「削除」したのか、そもそも彼女は何のためにこの原稿を書いたのか……その答えが明かされた時、驚愕の真実が浮かび上がる。
次に読みたい本
最後に。今日は残念なことに、本へのリンクが貼れないのだ。
ひょっとして、はてなブログさんの障害だろうか?アマゾンの方の障害だろうか。
それとも私自身の障害だろうか。(一番嫌)
とにかく、リンクが貼れないので、秀逸なこの本の装画がお見せできない。鏡が描かれた作品ともリンクしている想定なのに~今日に限って~