iCHi's diary~本は読みたし、はかどらず~

主に読書録。読み終えた本がこのまま砂のように忘却の彼方に忘れ去られるのが申し訳ないので、書き留める。要は忘れっぽい読者の読書日記。

「自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学」なんも悩まなくていいのだ

しんめいPの「自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学」をよんだ。

 

「神童と呼ばれ東大を卒業したが、自分でもびっくりするくらい仕事ができず、離島教育を志すも挫折、芸人になろうとするも挫折、離婚、実家に戻って引きこもり中」のしんめいP。

 

凡人がよく言う「いわゆる頭良すぎてテンテンテン」の人なのかな。

引きこもり中の彼が「これではいかん」とまず自己啓発本読みまくって、なんの解決もえられずに、今度は西洋哲学を学んで「ちがう。答えをくれ!」と飛び込んだのが東洋哲学の世界だったらしい。

 

まずは、ブッタの話から始まり(宗教のイメージが強いが東洋哲学の祖でもある)空海とか親鸞とか老子荘子とかいっぱいでてきた。(!あんなにおもしろ!って思ったのにほぼ覚えていない)

 

とにかく語り口が軽いのだ。面白いブログを読むような感覚ですんなり読めてしまう。

(そしてわかったような気になってしまうのは困りものだが)とにかく、今の私は「彼氏彼女」などない!ということを断言できるつまり「夫婦」などないのだ。

 

えーっと、うまく説明できるかわからないが、一旦チャレンジしてみる。分からなかったらぜひこの本を読んでほしい。

 

まず、夫がいなければ妻とは名乗れない。逆も然り。つまりお互いに相手がいなければ存在できない。夫がいないのに妻ですとは言えない。(言ってたら妄想ヤバい人だもんね)

 

夫とは相手(妻)がいて初めて存在する。つまり「夫そのもの」は存在しないのだ。

 

存在しない「フィクション」であるから、同じ人であっても「知らん人」から「彼氏」「夫」へと次々と変化する。(もちろんこの先に離婚からの憎むべき相手という変遷もあるかもしれぬ)

 

そう、全ては幻なのだ。

 

これが、2~3世紀の南インドの人、龍樹(りゅうじゅ)がとなえた「空(くう)」の理論だ。

ちなみに、この本ではこの龍樹があの2ちゃんねるひろゆきにそっくりだと言っている。

 

まあ、そこだけ聞くとそんな馬鹿な、と思うかもしれないがこの龍樹も論破王だったらしいですよ。ブッダの教えがどんどん複雑化して難しものになっていたところを「空」の一文字にしてわかりやすい「大乗仏教」にした人らしい。

 

最初に、おもしろブログを読んでいるような・・・と書いたが、この本最初はnoteの投稿から始まったらしい。

 

東洋哲学本50冊よんだら「本当の自分」とかどうでもよくなった話|しんめいP

↑とりあえず、キラッキラブッダの画像だけでも見てほしい。なんか、こういうYoutube有りそう・・・ありがたいのか?ふざけてんのか?

 

哲学自体のハードルをこれでもかというくらい下げてくれる入口的な本だけど

でも50冊も読んだんでしょー(でもお高いんでしょー的に)

 

 

ぶっ飛んでいるのに、なぜか論理的。
生きづらさがマシになる(かもしれない)
それが、東洋哲学。

 

東洋哲学にふれていると、
「ふとんに入ってるくらい、何の問題もない」と思えてくるのだ。

人生は、ムズくない。本当はシンプル。
難しくしているのは自分なのだ。
そんなことを教えてくれる。

そして、ふとんに入ったまま、この本を書くことになったのだ。

東洋哲学は、とにかく楽になるための哲学だ。

 

中略

 

~コンテンツ例~
ブッダ「自分なんてない」
龍樹「全部、空」
老子「ありのままが最強」
荘子「この世は夢」
達磨「言葉はいらねえ」
親鸞「他力本願でOK」
空海「欲あってよし」

哲学の本なのに、
なぜかクスリと笑えて、不思議と心が楽になる。

「自分探し」まさかの答えを、体感せよ。

 

次に読みたい本

ブッダ 1

これしかないでしょう。(ほんとは一休さんと迷ったけど。)