青山透子の「日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」を読んだ。
わたしにしては珍しく、次に読みたい本をちゃんと読んだ。
墜落現場の特定と救助はなぜ遅れたのか。目撃された戦闘機の追尾と赤い物体。仲間を失った元客室乗務員が執念で解き明かす渾身のノンフィクション。事故ではなく事件なのか?
著者は、事故当時スチュワーデスとして、日航につとめ同じ寮で暮らす同僚たちが帰らぬ人となった。
彼女が執念でいろいろなインタビューや証拠を集めて導き出した応えは衝撃的すぎて、すぐには信じがたい。
ノンフィクション、という割にはちょっと感情がこもりすぎている気もする。
ただ、「こんなひどい話なかったと思いたい」という防御本能なのかもしれない。
それほど彼女の導き出した答えは人道に照らしてありえないものだ。
知らない世代も多かろうと思うの事故のあらましを引いておく
1985年8月12日、日航123便が群馬県御巣鷹山に墜落し、520名が死亡した。これは単一機としては史上最悪の航空事故である。ボーイング747SR-46型機が大阪行きの途中で圧力隔壁が破損し、機体が制御不能となった。乗員は必死に機体を操縦しようとしたが、最終的に山岳地帯に墜落した。事故調査では、以前の尾部修理の不備が原因とされた。生存者は4名のみで、その中には12歳の少女・川上慶子さんが含まれていた。彼女は木の上に引っかかり奇跡的に生還し、その後の救出活動の象徴となった。
かれこれ40年になるのか・・・
事件の当時わたしは、小学6年生、生存者の一人川上慶子さんと同じ年だった。
福岡にのんきに暮らしていたわたしにはその大ニュースにもあまり感情を動かされることもなく、それは当時のクラスメイトたちも同じでほぼいつも通りだったと思う。
当時の担任のS先生のことを私達はなぜかとても嫌っていて、あまり真面目に先生の話を聞いていなかった。ふざける事が多い先生で、子どもにおもねったようなその態度がいやだったのか、ただ単にわたしが子ども過ぎたのか今となっては覚えていない。
S先生は、ホームルームでこの事故についてふれ反応の薄い私達の共感能力の低さに怒ったのだ。いや悲しんだのか?
一人生き残った君たちと同じ年の少女がこれからどう生きるのか想像してみよと
ああ、家族がみんな死んでしまってこの年で一人で生きていかねばならないとしたらどうしたら良いのだろうと。生きててよかったね、じゃないのかもしれない。
ようやく、その先のことを想像できてそうだ、あのときは自分のことが恥ずかしかったのを覚えている。
とにかく大事故だったのだ。日本中の人たちが等しく胸を痛めた大事故だった。
でも、この本の作者は、事故ではなく事件であるというのである。
いくつかの目撃証言から彼女は「自衛隊による誤爆と証拠隠滅のために現場の完全破壊」だというのだ。
遺体は「まるでもう一度焼いたように完全に炭化していた」らしい。
ジェット燃料は灯油に近いのでそんなには燃えないはずなのに。
もし彼女の説が正しいのであれば、まだ間に合うので誰か一人でも関わった人が証言してほしい。
私達は泣きながら胸を痛めその証言を受け入れるだろう。
ただ、川上さんの家族がそんな辛い死に方をしたのでないといい。
次に読みたい本
めちゃくちゃ重たいものを飲み込んだ気分なので次は思い切りかるい本を