iCHi's diary~本は読みたし、はかどらず~

主に読書録。読み終えた本がこのまま砂のように忘却の彼方に忘れ去られるのが申し訳ないので、書き留める。要は忘れっぽい読者の読書日記。

「夢みるかかとにご飯つぶ」頑張れキヨシ!

清繭子の「夢みるかかとにご飯つぶ」を読んだ。

 

小説なのエッセイなのかはたまたスピリチュアル系なのか、何も知らずに読みはじめたが、お世辞抜きでよいエッセイだった。

 

「好書好日」というサイトで「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた」(なんそれ!)という連載を持っているライターさんだった。

 

book.asahi.com

 

こちらのサイト、読みだしたら止まらないので要注意なのだよ。

 

基本的には肩ひじ張らないおもしろ話となのだが、実はすごく濃厚なエッセイだなとも思った。

 

というか、もったいなくない?もっと薄めていっぱい書いたらいいのに。

薄めずに原液をぶっこんできたなというイメージ?

ちょっと何言ってるかわからないけど。

 

ああそうそう、

仕事を辞めて子供を産んだ時に感じた焦燥感とか、でもこの子の母親をできる幸せと充足感とか、忙しくて大変で、でも二度と味合えないなあ、と懐かしく思い出す。

 

わかるよ、あのときの社会にぽつんと残されたような気持ち。

そして、それまでは上へ上へ目指すことを求められていたのに、子どもが出来た瞬間から、内へ内へと収束を要求された、あのはしごを外されたような驚きと怒り。

自分の時間がなくなることの疲労感。

 

20数年前の私はゴールにたどり着いてもなかったのに勝手に終わった気分だった。

残念ながら、こどもが成人したって、ゴールも落ち着きも訪れやしないけど。

 

それどころか、今でも新聞やなんかで何者かになった人の年齢をついつい自分と比べちゃうよ。

(このさもしい感情には確かなんとかコンプレックスと言う名前がついているみたい。感じている人は多いのだな、とちょっと安心する)

 

 

彼女はある意味器用貧乏で、何でもそこそこできてしまうばかりに、結局何者にもなっていないと苦しんでいる。そして、何者かになるために仕事をやめてしまう。

 

辞めた原因には先輩の急死があったみたい。

 

聞けばその先輩は私と同じ歳ではないか。

 

今日の次には明日があると思っているけれど、それは約束された未来でもなんでもないんだ。

 

もちろん50歳の私も、ちょっとした夢を持っている。

そんな無謀な夢ではないし諦めてもいないけれど、若いときみたいに大きくてとっ散らかった夢ではなくなった気がする。

 

諦めるというよりは満足を知るというか、ユメのサイズが小さくなったことを受け入れられるようになった。

 

彼女ほど何かになりたくて苦しんでいる時期は通り過ぎた。

でも当時の私だったら、こんなふうにつつみ隠さず「なりたいコンプレックス」をエンタメに消化して発表なんてとでもできない。

 

清繭子、只者じゃないぞ。

 

彼女が小説家デビューしたら、きっと読む。そして、祝福を込めて密かにこのブログで感想を書くだろう。

 

頑張れ、キヨシ!

 

最近ほんとこういうテーマの本が多いな~これが引き寄せの法則ってやつかな。

 

夢みるかかとにご飯つぶ (幻冬舎単行本)

母になっても、四十になっても、
まだ「何者か」になりたいんだ
私に期待していたいんだ
二児の母、会社をやめ、小説家を目指す。無謀かつ明るい生活。

「好書好日」(朝日新聞ブックサイト)の連載、「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」が話題のライターが、エッセイストになるまでのお話。



最初の夢は、「黒柳徹子になる」だった。それがまあ、いろいろあって(歌手目指したり、劇団に入ったり、NHKに落ちたり、失恋したり、婚活したり、子ども産んだり)、のち、会社を辞めて小説家を目指すことに。しかし、何度新人賞に応募しても、結果は……。
キヨシ、なんでそんなに夢見がちなの⁉


【目次より】
柔く握る
子どもを陽にあてただけの今日
ははははるもの
父は中島
元カレが坂口健太郎に似ていてね、
プーさんと滞納
小説家になれない完全なるアリバイ
ここじゃないどこか、ってずっと言ってる
清、会社辞めるってよ
私が小説家になれないのには、101の理由があってだな
ドキュメント落選
あの日、土下座をしなかった
私たちはいつも同じところに立って

 

次に読みたい本

愛がなんだ (角川文庫)

 

作者は、角田光代の編集者をやっていたこともあるらしい。

この本を読んで小説家になりたいと思った一冊として紹介されていた。