iCHi's diary~本は読みたし、はかどらず~

主に読書録。読み終えた本がこのまま砂のように忘却の彼方に忘れ去られるのが申し訳ないので、書き留める。要は忘れっぽい読者の読書日記。

マンガに本の古典で読む「とはずがたり」「和泉式部日記」 いがらしゆみこ

マンガ日本の古典が近くの図書館にてそろえられたので、今回はいがらしゆみこさんの「とはずがたり」「和泉式部日記」をチョイス。

いがらしゆみこさんと言えば我々の年代の乙女DNAの核を形成している「キャンディキャンディ」の作者。う~ん、私がちょうど4,5歳だったので、上の子くらいかー。ふえほぃー(変な声が出てしまった)

かなり楽しみにして満員電車の中で読みはじめる。
最初は堂々とマンガを広げていることに少しだけ恥じらいを感じていた私も、最終章に突入して、とくに「とはずがたり」では思わず涙がでてしまい、いい歳こいて電車の中でマンガを読んでしかも泣くという醜態をさらしてしまったものです。

実は、最初のとっつきは「あれ?」っていう違和感がありました。なんか、ヒーローがかっこよくなかったのよ。
ところがそう思ったものの、だんだんの入り込んでくると
「あぁ~ん!すてきすてき(は~と)」な感じに。

今様のマンガとはかなり絵柄が違うとは言え、まだまだなんのなんの、女子高校生の心をぐっと掴むのではないかしら。ちょっぴりエッチだけど、マイルドだしね。

 あとがきにも書かれていましたが、この話は「昔の」「私達とは違う」女性の話ではなく、今の女性の悩みや生き方となんら変わることがない、私に似た女性の話であります。

それは、人間の悩みなんて平安の時代から変わらない普遍的なものであるとも言えるし、悩んでも悩まなくても同じように時間は過ぎていくとも言えるし、人間なんてラララでちゅ(BYえびちゅ)とも言えましょう。

もちろん、作者の構成力によるところも大きいのでしょうが。

それにしても、平安朝の人は「致した」後に、いちいち後朝(きぬぎぬ)の歌をやり取りしたり、意味深な贈り物をしたり、朝から香をたきしめたりと、ホント大変!(やっていることは奔放なのに!)それに比べたら私達のセックスはよりサルに近づいてるのか?と思った次第でございます。

マンガ日本の古典 13 とはずがたり