太宰 治の「ヴィヨンの妻」を読んだ。
酒に溺れ、借金を重ね、家族を振り回す夫。そんな夫に傷つけられながらも、妻は驚くほどたくましく日々を生きていく。
暗く重い状況のはずなのに、語り口にはどこかユーモアがあり、悲惨さだけでは終わらないところが印象に残った。
でもね、徹頭徹尾、彼女の根底には諦観というか冷たい大きな海のようなものがある。
妻は夫を責め続けるのではなく、夫が盗みを働いた店で働き始め、自分と子どもの生活を切り開いていく。
その、夫が盗みを働いた店っていうのいわば戦前からの行きつけの見せで、
最初に一回払った一万円以外一度も代金を払わずになんのかんのと酒をのみにやってきて、見かねた彼の愛人やトモダチが少し払ったり払わなかったりで、ひどい。
ひどいんだけど、どうしてそんな事ができてしまうのか考えるとおかしみは漂ってくる。
最初は奥様として家で夫をただ待っていた彼女は飲み屋で働くうちにどんどん水を得た魚のように生き生きとしてくる。
だらしのない夫も、そんな彼女が働いている店に性懲りもなくやって来て、一緒に帰宅したりする。
その姿は健気というだけではなく、したたかで強い。夫を愛しているのか、あきらめているのか、それともただ生きるために受け入れているのか。
ウキウキして新生活を送っていた彼女にはまたしても辛い事件がおこる。
それでも彼女は夫に恨み言を言うわけでもなく、昨日と同じように出勤をする。
正しく生きることよりも、どんな形であっても生き延びることを肯定するような結末には、太宰治らしい。きっと彼が自分自身に向けていいきかせたいんじゃないかな。
作中で印象に残った言葉を引用しておく
妻「(前略)とっても私は幸福よ」
夫「女には、幸福も不幸もないものです」
妻「(前略)それじゃ男の人は、どうなの?」
夫「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と戦ってばかりいるのです」
女には幸福も不幸もない、って言われた時点で「あん?」と思うところを「男には」で弱音はいて甘える。
ね、こんな殺し文句言われちゃったらそりゃ、許すよね。
放蕩を重ねる詩人・大谷と、その妻の生活を妻の視点から描いた表題作。夫が金を盗んだ小料理店で働き始めた妻は、客たちの中で次第に生き生きとした姿を見せていく。夫婦の愛憎と人間の弱さ、生きることへの執念を、哀しみとユーモアを交えて描く。新潮文庫版には表題作のほか、「親友交歓」「トカトントン」「父」「母」「おさん」「家庭の幸福」「桜桃」を収録。
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松たか子 浅野忠信で映画化。うわー雰囲気あるね!

