村上龍の「イン・ザ・ミソスープ」を読んだ。
こわーい。
いや、まずそれである。読み終わって最初に出てきた感想が、語彙力を投げ捨てた「こわーい」だった。
「イン・ザ・ミソスープ」って、いつ書かれた話だっけ?と思って調べたら、バブルが弾けた少しあとの1998年の作品。かれこれ30年近く前である。なのに、主人公ケンジの気だるげで刹那的な生き方も、新宿・歌舞伎町の夜の感じも、令和の話だと言われてもまったく違和感がない。
ただ一方で、ブランド物を身につけた若い女性たちが海外へ買い物に行こうとするような、「まだ豊かだった日本」の気配もちゃんと残っている。その古さと新しさが混ざった感じが、なんとも不気味だった。
外国人相手に性風俗店など夜の街の観光ガイドをしていたケンジは、ある年の瀬に「フランク」という奇妙な外国人に雇われる。
このフランクが、もう最初からなんか嫌な感じなのだ。言うことはどこか信用ならないし、嘘も多い。ケンジは彼をいろいろな場所に連れ歩きながら、だんだん「最近起きた女子高生殺しは、フランクの仕業なのではないか」と思い始める。
血のついたお札を持っていたり、急に動きがロボットのように止まったり。
どれもゾクゾクするが、決定的な証拠ではない。ただ、何だか「ヤバい」ということだけは分かる。分かっているのに断りきれず、いつまでも行動をともにしてしまう。その感じがまた怖い。逃げろケンジ、と思うのだが、ケンジもケンジでどこか生きることに対して投げやりなので、危機感のスイッチがなかなか入らない。
「イン・ザ・ミソスープ」で異常なのは、この不気味な男の正体が徐々に明かされるのではなく、ちょっと気を抜いた隙にいきなり本性を現すところだ。
まるでシリアルキラーのよう、ではなく、本気のシリアルキラーだったわけだ。
理不尽な暴力を振るったかと思えば、ケンジに「君は僕のトモダチ」なんて言って、妙に執着してくる。その距離感のつかめなさがまた恐怖である。人間の皮をかぶっているけれど、中身のルールがこちらとまったく違う。会話はできるのに、話が通じていない。これが一番怖い。事実、皮を被っているような奇妙な質感なのだ。
この小説が新聞連載されていた時期に、神戸の連続児童殺傷事件が起こったらしく、当時かなりの衝撃が走ったとのこと。確かに、まるで予言するかのように、フランクという男は成人前に無差別殺人を起こしている。恐るべき符号である。
タイトルにもなっているミソスープは、物語の最後に登場する。
フランクが「ミソスープ、飲んでみたかったな」と言うので、ケンジが「日本でなら簡単に手に入るよ」と返すと、フランクは「いや、すでにミソスープの中にいるからいいんだ」と断る。
フランクにとって東京は、味噌汁みたいに不透明で、変な匂いがして、雑多な野菜の切れ端なんかが浮いている場所だったのか。
いろんな人のレビューを読むと、「当時の日本の空気感を海外から見た表現だ」とあって、なるほどと思った。というか、ミソスープに慣れ親しみすぎて、悪口なのかどうかもよく分からない。味噌汁、うまいしな。
さて、この本の作者・村上龍は「作家業50周年!」ということで、今すごく見直されているらしい。50年現役って、なかなか真似できない。
村上龍は、ちょうど私が子どもから大人に変わる頃のヒットメーカーだった記憶がある。ただ、その都会的でちょっとエロティックな雰囲気に苦手意識があって、実は今回が初村上龍である。あ、「13歳のハローワーク」は読んだけど。あれは別枠ということで。
その頃、本屋でバイトしていて、「69」というタイトルの本が平置きされているのを見て、「破廉恥な!」と一人でわなわなしていた初々しい私。
今回「イン・ザ・ミソスープ」を読んで、村上龍の持つ都会的な空気思いっきり吸い込むことができた。私におしゃれすぎると思っていたんだと思う。
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さてこの表紙、これがフランクだって言われたらめっちゃ分かる。フランクの狂気が伝わってくるわぁ。
そのアメリカ人の顔は奇妙な肌に包まれていた。夜の性風俗案内を引き受けたケンジは胸騒ぎを感じながらフランクと夜の新宿を行く。新聞連載中より大反響を起こした読売文学賞受賞作。
次に読みたい本
わなわなしていたこの本、先程あらすじを読んで私は数十年間とても恥ずかしい間違いをしていたことに気づく。1969年のことなのね・・・・
きゃーーーー!

