「逢坂冬馬」の「ブレイクショットの軌跡」を読んだ。
一つのネジから、こんなに遠くまで物語が広がるとは思わなかった。
2025年直木賞候補作として評判の良かった「ブレイクショットの軌跡」。
今回も、タイトルだけ見た私の適当な推理は見事に外れた。
何故か日本の商社マンがアフリカの奥地でてんやわんや。みたいなVIVANみたいな話を想像していた。
ブレイクショットとは車の名前であり、ビリヤードで最初に打つショットでもある。この二つの意味を含みながら、物語は多面的に進んでいく。なんというか、彫像のように、あらゆる方向から少しずつ形が見えてくる話だった。多くの人が「構成力」と言うのもわかる。ほかに言いようがないのである。
物語は、自動車期間工として働く本田青年のモノローグから始まる。
自動車工場では、どんなミスも徹底的になくす仕組みがあるらしい。間違いがあったら、すぐにラインを止める。それを「ナイス報告!」と褒め合うのだそうだ。すごい。ものづくり力が高いと言われるって、こういうことなのかと感心する。
本田は、同僚がふっと落とした一つのネジを目撃する。他人のミスでもすぐに報告しなければならない。しかし、いろんな要素が重なり、ついつい報告できない状況になってしまう。
そして、ここで場面転換してしまうのだ。
読者としては、ずっとあのネジの行方が気になる。あのネジ、どうなったの。もしかしてこの車って、例の?そういう不穏な小さな引っかかりを抱えたまま、物語は別の人物へ、また別の人物へと移っていく。
「ブレイクショットの軌跡」は、ブレイクショットを作る自動車期間工、ブレイクショットを手に入れたユーザー、その息子、息子の友人、その父、その後輩……と、どんどん連鎖していく群像劇である。最初は関係なさそうに見える糸が、気づけば目の前で織りなされ、一枚の大きな布になっている。
特に印象に残ったのは、善良な後藤一家の存在だ。
不幸な事故により高次脳機能障害となった父を支えるため、進学をあきらめて働く後藤晴斗。そんな晴斗の前に現れるのが、「有料経済セミナー」の志気和馬である。
志気は表向きは経済セミナーの講師で、裏では投資詐欺や個人情報の販売など、悪いことばかりしている人物だ。普通に考えれば完全にアウトな男である。
だが、どこまでも善良な晴斗をどうにか自分のもとに繋ぎ止めようとする姿は、悪役を演じているだけのようにも見えて、もはやいじらしい。
最後のセリフも、「友達になりたかっただけなのに」みたいな。
ヤクザの傘下で特殊詐欺の指導をしている男の言うセリフではない。そんな独白をする憎めないキャラは、バイキンマンくらいじゃないだろうか。
志気は、晴斗がなぜそこまでお金を稼ぎたいのかを理解できなかった。世の中の人々を馬鹿にして、コントロールすることしか考えていないから、晴斗も同じ欲望で動いていると思ってしまうのだ。
やっぱりちょっといじらしい。
多くの登場人物が出てくる「ブレイクショットの軌跡」は、エピローグで伏線を回収しながら、ぐっと一つにつながっていく。このパートは読んでいて本当に気持ちいい。
特に最後、畳みかけるように時系列のちょっとした罠に気づいた瞬間、ああ、なんという温かな目線で描かれた物語であることよ、と感動してしまった。
逢坂冬馬の小説は、社会の暗いところや人間の愚かさをちゃんと描く。でも、最終的に善良であることを尊重するまっすぐさを感じる。たくさんの悪い人達の悪い行いを書いておきながら、やっぱり「善良であること」を目指している。
この作者の視線は、いつも温かいなと思った。
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底が抜けた社会の地獄で、あなたの夢は何ですか?
自動車期間工の本田昴は、Twitterの140字だけが社会とのつながりだった2年11カ月の寮生活を終えようとしていた。最終日、同僚がSUVブレイクショットのボルトをひとつ車体の内部に落とすのを目撃する。見過ごせば明日からは自由の身だが、さて……。以降、マネーゲームの狂騒、偽装修理に戸惑う板金工、悪徳不動産会社の陥穽、そしてSNSの混沌と「アフリカのホワイトハウス」――移り変わっていくブレイクショットの所有者を通して、現代日本社会の諸相と複雑なドラマが展開されていく。人間の多様性と不可解さをテーマに、8つの物語の「軌跡」を奇跡のような構成力で描き切った、『同志少女よ、敵を撃て』を超える最高傑作。
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