近藤ようこの「妖霊星」を読んだ。
説経「しんとく丸」+「愛護の若」を一つの物語にしたものらしい。
だが残念ながらどっちも知らないので、楽しみも半減だ。(教養大事)
ある意味まっさらな気持ちで楽しめたとも言う(ポジティブ)
しんとく丸に身毒丸という字をあてたのは死者の書を書いた民俗学者「折口信夫」らしい。
さて近藤版身毒丸は・・・
幼くして死んだ姉の面影ばかり偲ぶ両親のせいで、自分がここにいるのか確信が持てない乙姫の話。
自分の存在が信じられずに鏡で何度も何度も確認する。アイディンティティの不確かさというやつですな。
そんな折に、田楽の集団(興行師たち)の中に自分に良く似た若者を見つける。
その若者こそ両親の業を一心に引き受けて産まれた身毒丸なのだが、同じく美しい顔に生まれついた彼は、乙姫の存在を否定する。

彼は、自分の出生が親の因果の果であることに苦しみ、自分の存在に苦痛を覚えている。
なやめる若者達である。(作者本人によるあとがきマンガによると理屈っぽい部分である)確かにちょっと青臭い悩みな気はする。
ところが、ガッツリ振られた乙姫は良家の子女らしからぬ行動力を発揮する。
身毒丸を追いかけて実家を出奔。追いついた先ですげなく追い返されたことで「思い通りにならないなら呪う!」とばかりに丑の刻参りを行う。
愛が講じて執念に成り果てたときの彼女の表情といったら。
般若の面とは違うけどこれはこれでとても怖いのである。

乙姫の呪いは成就する。
身毒丸は恐ろしい病気にかかり興行師たちから置いていかれ、物乞いをしながら寺の前に座り込む身分になってしまう。
恐ろしいのはここからで、目が見えない身毒丸を甲斐甲斐しく世話を焼くのもまた姫なのである。
この人の描く女は本当に、この細い線で表される美しい顔にどうしてここまでの情念が宿っているのか、不思議だ。
こうして、身毒丸と乙姫はようやく結ばれるのだが、冷静に考えるととても怖い話だ。
少なくとも身毒丸にとってはハッピーエンドではない。
だが身毒丸との子どもを宿した姫にとってはこの上ない最高の幸せなのかもなーと思った。

この話には何度もありがたい仏様が出てくるのだが、とても人間臭い。そして、やっぱり美しいのだ。圧倒的な存在として描かれていて、ここも見どころ。

次に読みたい本
これも、怖美しい。簡単にわかるものばかり読んでいてはいけないと思うのである。


