久坂部 羊 の「廃用身 」を読んだ。
先日、染谷将太主演で映画が公開されたということで気になっていた「廃用身」。
初版は2003年とのことで、今から20年以上前に書かれた作品である。なのに、まったく古びていない。むしろ、少子高齢化だの介護負担だの医療費だのと、いまの方が妙に生々しく迫ってくる。怖い。時代が追いついてしまった感じがする。
物語の中心にあるのは、介護の負担を軽くするために「動かない手足」を切断するという医療行為だ。これをAケアと呼び、老人医療の福音として推し進める青年医師・漆原が登場する。
あらすじだけかくと、もうこの時点でだいぶ怖い。
だが、読んでいる最中は「ありかも」とおもえてくるのだ。(それが怖んだけどさ)
漆原は、少なくとも最初は医療に対して極めて真摯に取り組んでいるように見える。動かない手足に血液を送り続けるよりも、そのぶん脳に血流を回せば認知症が改善するかもしれない。介護する側の負担も減る。本人も楽になる。そう説明されると、なるほどと思ってしまう。
もちろん、思ってしまった自分にギョッとする。
「廃用身」は、そのあたりの揺さぶり方が本当にいやらしい。良い意味で。こちらが「そんなの絶対に駄目だ」と言い切る前に、「では、なぜ駄目なのか」と静かに問い詰めてくる。自分の手足だから。人間の尊厳だから。なんだか怖いから。そう答えたいのに、どれも説明としてはふわふわしている。
もしかしたら、私が後期高齢者になるころにはこれが「ケア」という名前で当たり前に行われているかもしれない。あとは、この「なんだか怖い」という原始的な感情に、社会全体がどう折り合いをつけるかだけなのかもしれない。
私たちは、うまく説明できない気持ちだけをよすがに、自分の手足を守ることができるのだろうか。
前半では、いわゆる「良き医療提供者」としての漆原が描かれる。彼は老人たちの苦しみに向き合い、家族の苦労にも目を向ける。だからこそ、Aケアが単なる狂気ではなく、ある種の救済のようにも見えてくる。
しかし、やがて「そうではないかもしれない」一面が浮かび上がってくる。彼はただのマッドサイエンティストだったのか。それとも、早すぎた天才医師だったのか。
自ら命を絶ってしまった漆原は、世間から見れば「悪いことをしたから自らの命で償った」と受け止められるのだろう。だが、私は少し違う気がした。あまりにも大きな人間としてのステップアップ(と彼はかんがえていたから)を支えきれなくなったのだ。
彼は、自分の中にある正しさを信じ切ることができなくなったのではないか。
それを思うと、彼の周りの人々はけっこう人が悪い。とくに最後の幼馴染。悪気は絶対あったと思うね、わたしゃ。無自覚の善意みたいな顔をしてライバルを蹴落とす散弾をしている。
そして、映画の予告編で見た染谷将太の表情である。あれを見たあとに「廃用身」を読むと、一気に漆原の輪郭が立ち上がってくるというか、理解が進むというか。いや、理解していいのかは分からないのだけれど。
なんか、ぞくぞくが止まらない。風邪かしらってくらい、ぞくぞくが止まらない。
「廃用身」は、医療小説であり、ホラーであり、倫理の話でもある。でも一番怖いのは、そこに書かれていることが完全な絵空事には思えないところだ。読みながら、何度も「これは駄目だ」と思い、そのたびに「本当に?」と聞き返されるような感覚があった。
なんかすごそうだぞと。小説も映画も、こっちの心の柔らかいところを切ってきそうだぞと。
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廃用身とは麻痺して動かず回復しない手足をいう。患者の同意の下、廃用身を次々と切断する医師漆原。告発するマスコミ。はたして漆原は悪魔か?『破裂』の久坂部羊の衝撃的な小説デビュー作。
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