小川洋子の「猫を抱いて象と泳ぐ」を読んだ。
リトル・アリョーヒンと呼ばれた、チェス棋士の数奇な人生を静謐で美しく文章で綴った物語。
母親のお腹から出てきた時、彼の口はなぜか薄皮一枚で繋がっていた。
医師によりその口は切り開かれ、唇は足の皮膚を移植され造られた。
おかしなことにそのせいで彼の唇にはすね毛が生えているのだ。
悲劇のような喜劇。毛が出るともうねー。
神がやるべき仕事が、うっかり間に合わないほど特別念入りに作られたチェスの才能が彼の体には宿っていた。
初めてチェスを習ったのは、とても太ったマスターから。
チェスの世界を海にたとえ、深海に潜るようにチェスの奥深さを冒険する。
青年になり、チェス人形の中の人として働き始めた彼は、そのアシスタント役のハトを肩に乗せたミイラという手品師の娘に恋をする。
読んでいる時は不思議と全く気にならないが、こうしてあらすじを書いてみると、めちゃくちゃぶっ飛んだ設定よね。
出てくるキャラクターたちは皆チェスの駒をイメージしていて、序盤に登場したチェスのマスターは、太りすぎて自分の家から出てこれなくなるところ、キングをイメージしてるのかな?
終盤登場するクイーンのような婦長に至っては、やっぱり笑わせようとしてる?
三宅夏帆が、動画で小川洋子の作品は純文学とエンタメ小説どちらにも別れることができる源流のようだ、と言っていた。
確かに。すごく格調高いけどすごく面白い。
そう考えると純文学とは面白くないことが特徴みたいにな言い方になってしまうが、単に私がそれを楽しめる味覚が発達してないだけだ。
(機会があったらこれぞ純文学ってものにチャレンジしてみよう)
この話は、チェスの話でたくさんのチェス用語が登場する。
まさしく去年の私であれば、この話を楽しめなかったと思う。味覚が発達してなかった。
ところが最近の私は、アプリのゲームでチェスを覚えた。
もちろん、まだ人間相手とゲームをしたことはない。根気強く私の間違いを正し続けるアプリゲームじゃないと私の相手は務まらない。
おかげで子供の頃から、チェスもポーカーも将棋も囲碁もできないというちょっと恥ずかしい大人を克服中だったのだ。
テクノロジーバンザイ。
「大きくなること、それは悲劇である」。
少年は唇を閉じて生まれた。手術で口を開き、唇に脛の皮膚を移植したせいで、唇に産毛が生える。そのコンプレックスから少年は寡黙で孤独であった。少年が好きだったデパートの屋上の象は、成長したため屋上から降りられぬまま生を終える。廃バスの中で猫を抱いて暮らす肥満の男から少年はチェスを習うが、その男は死ぬまでバスから出られなかった。
成長を恐れた少年は、十一歳の身体のまま成長を止め、チェス台の下に潜み、からくり人形「リトル・アリョーヒン」を操りチェスを指すようになる。盤面の海に無限の可能性を見出す彼は、いつしか「盤下の詩人」として奇跡のような棋譜を生み出す。静謐にして美しい、小川ワールドの到達点を示す傑作。
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