宮部みゆきの「この世の春」を読んだ。
宮部みゆきの作家生活30周年記念作とのことで上中下からなる大作だった。
ただ、長くってもツルツルっと読み進められるところはやっぱりすごい!
読んでいる間中、なぜこの本のタイトルが「この世の春」なのか考え続けたが良く判らなかった。
けれど、けっして暮らしやすい土地ではない北見藩だからこそ、厳しい冬を越えて訪れる春のありがたさが際立つのかもしれない。エンディングもまた、これから訪れるかもしれない幸福を予感させる幕引きだった。
さて、このお話のすごいところは極めて現在的なテーマに思える「幼少期の虐待による多重人格の形成」というモチーフを、江戸時代、それもお殿様にぶち込んだところだ。
もちろん当時にも同じような症状の人はいたはずだが、「多重人格」という解釈がない時代である。だからこそそれは「何かに取り憑かれた」と見なされてしまう。
この物語の若く美しい藩主もまた、そのために強制的に隠居へ追い込まれる。
おしこめられた彼を支える医師や、かつての家老、そして理由あって呼び寄せられた娘「多紀」達が、そのからくりに気づきなんとか彼を救い出そうと奔走するのだが、ここからが宮部みゆきの宮部みゆきらしいところで「呪」とか「影」の話が出てくる。
現代の科学であればある程度説明できそうなトラウマや解離と、いまだ解き明かしきれない怪異とを混ぜ合わせることで、人の心の闇は単なる病として処理されない、もっと底知れないものとして迫ってくる。
こちらとしては「それは心の問題なのか、それとも本当に“何か”がいるのか」と何度も足場を失い、そのたびに物語の奥へ引きずり込まれてしまう。
恐ろしさや不気味さだけではない。
子を奪われた悲しみや、大切な相手を守るために立ち上がる人々の強さもまた、この物語の大きな魅力だった。
ただ怖いだけでは終わらない、人の情と祈りのようなものまで描き切るところに、宮部みゆきの凄みがあると思う。
怪異譚でありながら、人の哀しみと再生の物語でもある。だからこそタイトル「春」が入っているのかも知れない。
ごめんくださいまし──。宝永七年の初夏、下野北見藩・元作事方組頭の家に声が響いた。応対した各務多紀は、女が連れていた赤子に驚愕する。それは藩内で権勢をほしいままにする御用人頭・伊東成孝の嫡男であった。なぜ、一介の上士に過ぎない父が頼られたのか。藩中枢で何が起きているのか。一夜の出来事はやがて、北関東の小国を揺るがす大事件へと発展していく。作家生活三十周年記念作。
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多重人格と言えば。大学生の頃読んだのでかなりうろ覚えだが一言で言うならば「!」だ。もはや一言も言えていない。

