細谷 功 の「具体と抽象」を読んだ。
猫の4コマ漫画がおもしろしろく、あっという間に読めてしまう本。
Audible(朗読)で4コマ漫画が楽しめるとは思わなかった(笑)
受験生の息子を持つ母として「頭のよさとはなにか」気になってしょうがないが、この本を読めばテストとの点数を上げるだけでは得られない知能があることがわかる。
とはいえ、学校の勉強を否定する内容ではない。
むしろ、国語と数学は物事を「抽象化する訓練」であり、抽象のはしごを登れることこそが頭のよさにつながるのだ。
たとえば、「あの人の話は抽象的過ぎてわかりにくい、何いってんだ?」というのはほぼ悪口だが、それは自分が抽象のハシゴを登ることができないからかもしれない。
ものすごくぶっちゃけて言うと「わからないのは自分が馬鹿だから」という可能性があるのだ。
ちょっと敬遠されがちな「抽象」だが、それは「わかりにくい」からであり、何故わかりにくいかと言うと、具体的なもののように、目で見て数を数えたりできないからだ。
様々なものから、共通要素を見つけ出しその本質を言い表すのは、高いところから多くを見渡す必要がある。
だから、ハシゴを登るという言葉を使うのだろうな。
で、ここからが面白いのだけど抽象のハシゴは登りっぱなしでもだめで、降りたり登ったり、つまり「抽象的にも具体的にも」物事が考えられることが「知能」につながるのだ。
例えばもし犬が言葉を話せたとしてもおそらく「エサ」がなにかわからないのだそうだ。
人間にとっては「この袋にはいっている、カリカリ」も「あの袋に入っているウェットタイプ」もどちらも犬のエサ(抽象)のだけど、イッヌからみたら、それぞれ別の物(具体)で、「どちらもエサとよぶことが理解できない」みたいな。
具体と抽象、なんかわかるわー「あの人は視座が高い」とか言うもんね。確かになるほどなるほどそういう事かんがえてるんだーと思う人いるもんね。
そうかと思えば、いちいち言葉づらとらえて応用が効かない人もいるもんね。
いままで、具体的である事がすごく良いことだと考えていたけど、いやいや、むしろ具体的でない、つまり良く考えて抽象化してみるのも結構大事だということがわかった。
今ふとおもったが、私の作る料理は抽象的かもしれない。
「何らかのタンパク源と緑色のものを炒めてウェイパーを入れたもの」
「上記に水溶き片栗粉でとろみをつけたもの」
「ミンチと何らかの野菜を細かく切ったものにカレー粉をいれたもの」
「鍋」
大体これくらいで回している。我ながら天才かもしれん・・・
この本もAudibleでよみました。
その議論はなぜ永遠にかみ合わない?
その言葉はなぜ伝わらない?
人と人がわかり合えない理由を「具体と抽象」という視点から考え、
「具体=わかりやすさ」の弊害にも着目。
「自分に見えないことも見ようとする」ことの大切さを説いた「元祖#具体と抽象」。
【目次】
序章 抽象化なくして生きられない
第1章 数と言葉: 人間の頭はどこがすごいのか
第2章 デフォルメ: すぐれた物まねや似顔絵とは
第3章 精神世界と物理世界: 言葉には二つずつ意味がある
第4章 法則とパターン認識: 一を聞いて十を知る
第5章 関係性と構造: 図解の目的は何か
第6章 往復運動: たとえ話の成否は何で決まるか
第7章 相対的: 「おにぎり」は具体か抽象か
第8章 本質: 議論がかみ合わないのはなぜか
第9章 自由度: 「原作」を読むか「映画」で見るか
第10章 価値観: 「上流」と「下流」は世界が違う
第11章 量と質: 「分厚い資料」か「一枚の絵」か
第12章 二者択一と二項対立: そういうことを言ってるんじゃない?
第13章 ベクトル: 哲学、理念、コンセプトの役割とは
第14章 アナロジー: 「パクリ」と「アイデア」の違い
第15章 階層: かいつまんで話せるのはなぜか
第16章 バイアス: 「本末転倒」が起こるメカニズム
第17章 理想と現実: 実行に必要なのは何か
第18章 マジックミラー: 「下」からは「上」は見えない
第19章 一方通行: 一度手にしたら放せない
第20章 共通と相違: 抽象化を妨げるものは何か
終章 抽象化だけでは生きにくい
次に読みたい本
少なくとも、なんか頭良くなったような気にはなりそう。

