多和田 葉子 の「太陽諸島」を読んだ。
三部作の完結編と聞けば、当然ながら読者は“たどり着く”ことを期待する。
「探していたhirukoの故郷、日本にようやく帰還!」みたいな、大団円のクライマックスを。しかし「太陽諸島」は、そうした予定調和をことごとく裏切ってくる。旅の途中で、ふわりと物語は終わってしまうのだ。
この小説は、バラバラで個性的な6人の視点で描かれている。
互いの価値観も背景もまったく異なる彼らが、なぜか共に行動し、やがて少しずつ繋がっていく。その語り口は、あくまで“個人の語り”でありながらも、いつの間にか旅は進んでゆく。
そして今回、「太陽諸島」では各人物の恋模様が、あくまでさりげなく、でもしっかりと描かれていた。ドロドロとした恋愛劇ではない。それぞれがそれぞれに惹かれ、進み、ぶつかり、譲らず、許し合う。その姿に、つい感情移入してしまう。
たとえばhirukoはクヌートと結ばれ、アカッシュはその二人と同じ船に乗ることを選ぶ。ナヌークとノラは相変わらずのケンカップルぶりを発揮し、susanooにいたっては船の乗客と恋に落ち、まさかのプロポーズまでしてしまうという大番狂わせ。
お相手もなかなかのクセ強プリンセス…
中でも心に残ったのは、アカッシュの言葉だ。アカッシュは、男性から女性へと性を“引っ越し中”の人物で、クヌートに惹かれている。
そしてhirukoが「私は家になりたい」と口にしたとき、アカッシュは「私もその家に入りたい」と答えるのだ。
恋人同士であるhirukoとクヌートの間に入るという宣言であり、しかしそこに切実な想いが乗っかっている。
でもhirukoは一瞬考えたあと、「歓迎」と答える。
すると、ノラがすかさずツッコミを入れるのだが、hirukoは「カップルはバスタブのようなもの。わたしたちは、バスタブにずっといるわけではない」と返す。この比喩がまた、いかにもhirukoらしくて(いつもこんなかんじなのよ、彼女)いい。
そう、「太陽諸島」は、なにかとか誰かの正しさや正解を描く物語ではないのだ。
むしろ、正しさを探してしまうノラのような人こそ、苦しみを抱えてしまう。誰かが間違っているわけではない。誰かが不幸なわけでもない。
ごめんなさい、なんのことか全くわからないと思うけど、いわば6人の視点からそれぞれ語られる物語なので、もう全員に感情移入しちゃってさぁ・・・
レビューでは「純文学」として紹介されることが多いこの作品だが、読んでいると時折、くすっと笑えるようなユーモアが滲み出てくる。
ちなみに、登場人物たちは誰ひとりとして“友達になりたくないタイプだ。すまん。
鑑賞用のレアな生き物として観察するからこその純文学??
それにしても、三部作を読了した達成感、いわゆるカタルシスのようなものが、あまりないのはなぜだろう。——そう、私はまだ1巻目の『地球にちりばめられて』を読んでいないのだった。旅の始まりを知らずに終わりを見た私は、もう一回「地球」に戻る必要がある。
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悩んだ末、2巻の次に3巻を読んだのだが、こうなったら1巻「地球」を読むしかない。
