澤村伊智の「怪談小説という名の小説怪談」を読んだ。
ホラー作家が「怖さとは何か」を問い続けて書いた短編集、「怪談小説という名の小説怪談」には、もはやエンタメをこえて学究の魂まで感じる。
特に印象に残ったのは、ラストを飾る「怪談怪談」。
この作品では、怖さを克服するために、あえて怖さそのものに向き合う人物が登場する。恐怖という感情を自らに取り込み、客観的に作品に昇華しようとするその姿に、澤村伊智という作家の原動力の一端を見た気がした。
怖いものを書き続ける作家は、本当は怖がりなのかも?過剰防衛がすぎるたいぷというか。
一方、その直前に収められた「涸れ井戸の声」では、克服ではなく追い求める恐怖が描かれる。
「こんなに怖い小説は読んだことがない」と色んな人から聞かされるのに、実体が一切見つからない幻の怪談小説。
検索しても実物は出てこず、出てくるのは「怖かった」という感想ばかり。他人が怖がったという傍証こそが、最も怖いのだと示される構成に唸った。
たしかに、自分の目で確認し、自らの感覚で怖がったことには、どこかしら理性で抗う余地がある。だが、「誰かが怖がったらしい」「それがとんでもなく怖かったらしい」といった、正体不明の情報の方が、実体のないままいつまでも記憶に残り、じわじわと広がっていく。
実にメタ的かつ現代的な恐怖!
小説内でも言及されているが、まるで鮫島事件のようだ。
(これ、有名な話なんですってね。私は知らなかったので調べた結果を貼り付けとく)
鮫島事件 - Wikipedia 読んだら何だと!?と思うはず。
そのほかの短編も、どれもテイストが異なりバリエーション豊かだ。たとえば「うらみせんせい」はスプラッター色が強く、苦手な人はちょっと注意が必要かもしれない。
一方で、「高速怪談」は人間の怖さがじわじわくるヒトコワ系。登場人物たちの軽妙な会話に「なんかありそうだな」「このノリ、ちょっとおしゃれ」と油断していたら、最後にしっかり怪談的なオチがついてくる構成にニヤリとさせられた。
怖さとはなにか、人を怖がらせるにはどうしたらよいのか。考え抜かれた実験場のような小説だった。
“小説”ならではの企みに満ちた“怪談”全7編。深夜、疾走する車内を戦慄させた「高速怪談」、呪われた大ヒットホラー映画「苦々陀の仮面」、禁忌を犯してしまった夫婦と「こうとげい」、正体不明の殺戮犯「うらみせんせい」、作者不明の恐怖譚「涸れ井戸の声」他。謎めいた語りが恐怖と驚愕を生み、奇妙で不穏な空気と意外な結末に嫌な汗が滲みだす。著者真髄の大どんでん返し恐怖短編集!(解説・大森望)
本書は、それぞれ趣向の違う七種類の“超自然の恐怖を扱った”短篇を一冊にまとめた作品集。(中略)著者の澤村伊智は、(中略)ホラー・シーンの最前線に立ち、いまの国産ホラー・ブームを先頭で牽引する作家と言っていいだろう。その澤村伊智が腕によりをかけた本書収録作は、いずれも、小説のかたちで書かれた怪談(=小説怪談)であると同時に、怪談をモチーフにした小説(=怪談小説)でもある。(中略)二重三重のメタ構造を持ち、いくつかの作品では本格ミステリ的なトリックが意外性と恐怖感を演出している。(怪説より)
――大森望
次に読みたい本
あとがきに紹介されていた、この本のタイトル元ネタらしい。気になる~
内容もまるでエッセイのように始まっていつの間にか怪奇小説になっているらしい。
作中には別の怪奇小説が一本丸ごと引用されているらしい。
そして、小松左京のこの小説も同じような作り(らしい)
そう言えば、ネット上で最恐のうちの一つとして語られる怪談にこういうタイトルのやつなかったっけ?
雑談、というか悩み。
藤子F不二雄大全集が半額になっている・・・全部は買えないにしても1冊位(いや半額だから2冊か)くらいは手元に置いときたい。
とすると、エスパー魔美かチンプイかの2択で迷い始めて結論が出ない。
意表をついて大長編ドラえもんでもいいか・・・





