井伏鱒二の「黒い雨」を読んだ。
「終戦記念日までに読み切りたい」と思っていたので、間に合ってよかった。正直、読了できるかどうか自信がなかったのだが、ナレーターが渡辺謙だと知って「これなら行けるかも」とチャレンジ大好き)
大変いい声でした。(でも1.5倍で聴く)
「黒い雨」は、広島で被爆した男性・閑間重松を主人公にした物語である。
彼の語りを通じて、戦後の生活と、被爆直後の地獄のような体験が交錯する構成になっている。極めて重いテーマだが日常生活へのささやかな愛着やあたたかさが感じられる。
原爆症の後遺症で重労働ができない重松は、同居する姪・矢須子の将来を案じながら日々を過ごしている。
矢須子が被爆していないことを証明するため、重松は自分の被爆日記を清書して公表しようとする。
物語は、終戦後の重松の語りと日記の中の被爆直後の重松の語りが交互に折り重なるようにすすめられてゆく。
爆心地から遠く離れた場所にいたにもかかわらず、「黒い雨を浴びた」「原爆症だ」といった心無い噂のせいで、縁談がまとまらない。その濡れ衣を晴らそうとする叔父の必死の思いが、日記という形で綴られていく。
しかし、皮肉なことに、矢須子が本当に原爆症を発症してしまうのは、重松がその日記を書き終える頃である。
彼女は確かに爆心地から離れた場所にいた。
しかし、その後に合流した重松たちと逃げ惑う中で、放射性物質を含んだ「黒い雨」を浴びていたのだ。
発症したことを叔父たちに隠していたため、症状はさらに悪化する。物語は、彼女の回復を祈るようにして終わる。
「黒い雨」というタイトルは象徴的だ。作中には、「玉音放送」の前日に目撃された「白い虹」の描写もある。
調べたところ、これは「霧虹(きりにじ)」と呼ばれる自然現象で、一般的には凶兆とされるらしい。黒と白、二つの色彩が、戦争の影と平和への祈りを際立たせるように対比されている。
井伏鱒二は、どうしてこんな物語を書くことができたのだろうか。広島での悲惨な記憶を、静かな筆致で読者の胸に刻み込んでくる。
「黒い雨」には、悲しみのなかに滲む人間の強さと優しさがある。
重松の温厚な語り口のなかに、「このような兵器を人間が使って良いものか」という思いが何度も漏れる。そのたびに、本当にそうだよなと思った。
一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨”にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。野間文芸賞受賞。
次に読みたい本
小学生には読ませたい。

