岩井 圭也の「われは熊楠」を読んだ。
熊楠は若い頃、何度も脳症で寝込んだり、てんかんを起こしたりしていた。
自分の中に何人かの声がいたという描写もあり、もしかすると彼自身も統合失調症を患っていたのかもしれない。
頑固にも在野で研究活動を続けていた熊楠だったが、どんなに野放図に生きていても、息子のくまやが精神を病み、自宅介護をせざるを得なかったときの壮絶な様子は痛ましかった。
彼は、「南方の名を世に知らしめる」どころか、一生病院で過ごす可能性もあったのではないか。紙一重の人間だったことを、本人も理解していたように思える。
結果的に学問の道を極めた熊楠だが、おそらくそれ以外の生き方はできなかったのだろう。
裕福な家庭に生まれ自分の興味の赴くままに在野で研究をつづけ、一度も職につくことない人生であった。奇矯で傍若無人の振る舞いも多かった。
そのためにたくさんの人々に支えなしでは生きて行けず、とりわけ弟には長い間出資をしてもらっていた。
しかし悲しいことに、晩年二人は仲違いをして最後まで会ううこともなく亡くなってしまう。
血を分けた兄弟だからこそ、決別の痛みはよりドラマティックに映るのかもしれない。しかし、史実を曲げてでも、二人が最後に仲直りをしていたらよかったのに……と願わずにはいられない。
いままで熊楠には「謎多い人」というイメージを抱いていたが、実際には本当にぶっちぎりの人だったのだということがよくわかった。
最後のクライマックス。命尽きるまで研究を諦めない姿勢、死にゆく際に見えた美しい紫の花——そのラストは感動的だった。
奇人にして天才――カテゴライズ不能の「知の巨人」、その数奇な運命とは
「知る」ことこそが「生きる」こと
研究対象は動植物、昆虫、キノコ、藻、粘菌から星座、男色、夢に至る、この世界の全て。
博物学者か、生物学者か、民俗学者か、はたまた……。
慶応3年、南方熊楠は和歌山に生まれた。
人並外れた好奇心で少年は山野を駆け巡り、動植物や昆虫を採集。百科事典を抜き書きしては、その内容を諳んじる。洋の東西を問わずあらゆる学問に手を伸ばし、広大無辺の自然と万巻の書物を教師とした。
希みは学問で身をたてること、そしてこの世の全てを知り尽くすこと。しかし、商人の父にその想いはなかなか届かない。父の反対をおしきってアメリカ、イギリスなど、海を渡り学問を続けるも、在野を貫く熊楠の研究はなかなか陽の目を見ることがないのだった。
世に認められぬ苦悩と困窮、家族との軋轢、学者としての栄光と最愛の息子との別離……。
野放図な好奇心で森羅万象を収集、記録することに生涯を賭した「知の巨人」の型破りな生き様が鮮やかに甦る!
次に読みたい本
水木しげるが猫の手をかりて熊楠の伝記を描く。
まさしく、鬼才が鬼才を描いた漫画。
え!うそ。イメージと違う。ハンサムだわ・・・