第152回芥川賞受賞作である小野 正嗣 の「九年前の祈り」を読んだ。
初読みの作家さんでその高尚さ?に面くらい、3つの短編からなる本だったが、表題作しか読みくだせなかった。
物語には大分県の県南部の方言が出てくる。私も祖父母の大分のためこの独特のやさしい言い回しを懐かしく読んだ。
だが、物語のテーマは決して明るいものではなかった。
主人公のさなえはシングルマザーで、息子のケビンは、天使のような愛くるしい顔をしたハーフで、そしておそらく自閉症スペクトラム障害を持っている。
田舎では目立ちすぎるほど目立つこの母子は、精神的にかなり追い詰められているように思われる。
それでも、大分の海辺の街に帰ったことで9年前に出会った年上の友人「みちゃん姉」の言葉を思い返して、だんだんと人生を受け入れていくのだ。
田舎の人、というかもうこれは場所ではなく「すべての娘にとっての」故郷、実家、実の母親の、おおらかといえば聞こえが良いが無遠慮でデリカシーがなくて、過干渉な態度。
イラつきながらも、その中には明るさとか朗らかさもあって、本当にギリギリのところでさなえは踏みとどまる。
ラストシーンで、さなえが海に落ちそうになる息子の手をしっかりと握った瞬間、この親子は何かを乗り越えたのだとおもった。息子はかわらないけれどさなえが変容したのだろう。
最後がよくわからなくて、何度か読み返したがこれは紛れもなく、ささやかな希望に満ちたハッピーエンドなのだ。
感情が爆発した人のニュースは大きく報道されるけど、その手前で、様々な葛藤を抱えながらも踏みとどまっている母親は、数えきれないほどいるはず。
この物語は、そんな多くの母親たちの、一つの静かな叫びのようだった。
こういう話を読むと、なんか私も頑張らなければ、とおもう。
「握っていなければならぬ貴重な手がふと離れてしまうとき、あたりにたちこめるとりとめのない時間は、甘美な苛酷さへとまがまがしく変容する。その一瞬に立ちあった者の心の乱れは、容易にはおさまるまい。『九年前の祈り』は傑作である。」─蓮實重彦氏
「彼女が水辺で、異次元に生きているかのようにも思われる息子と、突然に手をつなぐ。その電撃的な清冽さによって、この小説は尊い。」──朝日新聞・片山杜秀氏
「『現代』と『神話』の同居しているところに作品の愉悦がある」──毎日新聞・田中和生氏
「最も力のある作品」「悲しみに折れない人間の手応えが伝わってくる」──東京新聞・沼野充義氏
「すべてのものを飲み込んでしまうおおらかなたゆたいの中で、小さな粒を、一つのメルヘンとも呼べる澄んだ真珠に育て上げた。」──読売新聞・待田晋哉氏
など、各紙文芸時評で絶賛された傑作!
三十五になるさなえは、幼い息子の希敏をつれてこの海辺の小さな集落に戻ってきた。希敏の父、カナダ人のフレデリックは希敏が一歳になる頃、美しい顔立ちだけを息子に残し、母子の前から姿を消してしまったのだ。何かのスイッチが入ると引きちぎられたミミズのようにのたうちまわり大騒ぎする息子を持て余しながら、さなえが懐かしく思い出したのは、九年前の「みっちゃん姉」の言葉だった──。
九年の時を経て重なり合う二人の女性の思い。痛みと優しさに満ちた〈母と子〉の物語。
次に読みたい本
大分といえば、吉四六さんですな。
しかしこの本、私が小学生の頃に持っていた記憶がある・・・
ちなみに、会社に人はみんな焼酎の名前だと思っていたので広めねばね。