本屋大賞ノミネートされている一穂ミチの「恋とか愛とかやさしさなら」を読んだ。
ある意味究極の愛の物語であった。
プロポーズをされた翌日に彼氏が盗撮で捕まったという知らせを受ける新夏(にいか)。
おそらく、日本中で毎日のように被害者が発生しているだろうこの手の犯罪。
自分の大切な人が事故や事件の被害者になることまでは心配できても、まさか加害者になることは想像はできない。
ましてや、性犯罪なんて。
なにかの間違い出会ってほしいという願いも虚しく、彼氏の啓久(ひらく)は罪を認め謝罪をしてくる。
果たして自分は許せるのか。この罪を知ったまま彼と付き合っていけるのか悩み続ける新夏。
もはや、新夏が彼を許すことは「性犯罪者を許す女」であるり、自分まで世間から後ろ指を刺されるような気持ちになる。
前半は、新夏の視点で語られる苦しみ。彼をわかりたいし許したい。
各人の心にはブラックボックスがあって、それは少しだけ覗き見る事はできても、すべてを分かることはできないのだ。
新夏は自分の心にもブラックボックスがあることを認め、彼を許すけれど分かれるという選択をする。
罪を犯すということは加害者と被害者の二人の問題ではなく、その周りを巻き込んだ災厄になるのだな。
後半は、お別れしたあとの啓久視点からのパート。
犯した罪はいつまでも彼を忘れてくれず、転職したあとも盗撮をしたことを職場でバラされたりと苦難が耐えない。
だが、その苦難ですら自業自得であると己を言い聞かせている。
啓久が、ちゃんと反省をしていて自己肯定感を下げまくっていて、
本当は、こんな人に感情移入したらだめなんだけど最高に切ないよ。
最後、彼は少しだけ良いことをして物語は終わる。
どんなことかは読んでのお楽しみ。
性加害についての男女の捉え方の違い、というより個々人の捉え方の違いがはっきり現れていて私も考えさせられた。
おそらく、電車などで軽い気持ちなのかできごころか痴漢や盗撮をする男はいる。
今現在もどこかの社内で起こっている事件かもしれない。
軽い気持ちでなぜたその手を、女性は一生不快感と怒りと屈辱を持って思い出すのだ。
そして、痴漢に合わないように襲われないように生きてきいかなければならない。
あまつさえ、ポスターでは「痴漢に気をつけて、盗撮に気をつけて」だ。
なんで、被害者が気をつけないといけない?
痴漢にあったら、気をつけていないから悪いみたいじゃないか。
だが、そんな理不尽なことが今でも平然と行われているのだ。
作中の人物が語ったように「痴漢したら去勢か死刑」と決めるのも良いかもしれない。
罪と罰のバランスが悪すぎるって?
それくらいコスパが悪い罪したら性犯罪も減るでしょう。
それで困る人はいないでしょう。
娘に読ませたい本です。
プロポーズの翌日、恋人が盗撮で捕まった。
カメラマンの新夏は啓久と交際5年。東京駅の前でプロポーズしてくれた翌日、啓久が通勤中に女子高生を盗撮したことで、ふたりの関係は一変する。「二度としない」と誓う啓久とやり直せるか、葛藤する新夏。啓久が“出来心”で犯した罪は周囲の人々を巻き込み、思わぬ波紋を巻き起こしていく。
信じるとは、許すとは、愛するとは。
男と女の欲望のブラックボックスに迫る、
著者新境地となる恋愛小説。
次に読みたい本
いよいよ明日、本屋大賞の発表らしい。
全部読んだわけではないが、勝手に予測。
今年の本屋大賞はこれだ!