辻堂ゆめの「死ぬならば、死にたいときに」を読んだ。
まるで藤子不二雄のSF短編みたいなお話。
サックっと読めてしまう長さだが、星新一ならこの5分の1の長さで同じようなものを書いたかもしれない。
安楽死をテーマにした少々ブラックなお話だ。
死ぬときにあまり周りに迷惑をかけて死にたくないと、安楽死の制度ができですぐに、将来自分が認知症になったり、意思が通じないような病気にかかったら安楽死を選ぶ意思表明をする男性。だが、いざ実際その時が来ると・・・という話。
段々と自分の意識がとりとめがなくなり、徐々に妻と娘と母親を混同し始める。
自分が実際に認知症になったらこんな感じになるかしら、今と地続きの未来に徐々に混濁する意識がリアリティありすぎてちょっと怖くなる。
自分は間違っていないと思うからこそ怒りっぽくなり、なぜみんながそんな扱いを自分にするのか理解できない。
物語の世界だからまだ正視できるけど、自分の家族がこうなったら結構たいへんかもしれない。
ちなみの私の両親はまだ健在だが80歳を超え、
母は自分が「ボケたらどうしよう」と悔やみ続けている。
が、父は「ボケたもん勝ち」と言っている。
今はまだそんな心配せずに、安心して勝ち逃げしてくれたまえと思っている娘だが、実際に深夜に出歩いて警察のお世話になりだすと大変だろうなぁと思う。
そりゃ、ピンピンコロリ地蔵さまにお参りに行きたくもなりますわな。
それにしても近未来には「安楽死を事前予約するサブスク」が実際に登場しそう。
自分の意志が変わったらすぐにアプリで変更できるって。
ボケてみんなに迷惑をかけるくらいなら早く死にたい。
なんて、青臭いことこの上ない。
白馬に乗った理想の王子様が私を迎えに来てくれると信じる乙女みたいな、老人初心者である。というか、人間初心者である。
おそらく、自分たちは生きることに貪欲であるはずだ。生き物だから。
死ぬタイミングはやっぱり天命にまかせるべきであり、自分で決められると思うのは傲慢だと思う。
と、辻堂ゆめは言いたいのかもしれない。
素敵な旅立ちの日をあなたに――。安楽死が法律で認められた204X年、和之は妻の陽子とともに同意書にサインをする。これで愛する家族を煩わせることなく、自分で自分の人生の幕を下ろせるとほっと安心し、さあこれからリタイア後の人生を満喫しよう、と心が弾んでいたのだが…。大藪春彦賞を受賞し今注目のミステリー作家が、濃密で息もつかせぬ筆致で描いたブラック短編。
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これ、浅野いにおが『ドラえもん』描いてたり、石黒正数が『エスパー魔美』を描いてたりと、素敵すぎるのよ。
本人たちの絵柄で藤子不二雄の話を書いているらしくて、読みたーい。
でもこういうのって、めっちゃいいか一読して終わりかのどっちかよねー