「ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち」を読んだ。
ファーストフードのように、素早く食べやすい形になった教養、ファスト教養に対する問題提起。
お説ごもっともだけど、なんだか当たり前のことしか言ってないなーという感想。
ホリエモンやひろゆき、中田敦彦など、実名を上げての攻撃があってなんか聞いたようなコメントになりますが、それってあなたの感想ですよね、という部分も多い。
彼の言いたいことは、
教養がビジネスですぐ役に立つ雑学のようになっているが、(確かに「教養としての~」と冠された本がめちゃくちゃ多い)、そういうもんじゃないだろう、教養とはどこで役に立つかわからないが、単なる知識の詰め込みではなく、それらの知識を統合し、世の中をより深く理解するための力、人生を豊かにするためのものだろう。
だ。なので、乱造される「教養としての〇〇」「ビジネスに役立つ教養」のはおかしいし、もっと言うなら〇〇(個人攻撃)がこんなふうに教養と言っているが、どうかと思う。見たいな流れ。
うーん、結構たくさんの個別事例が上がっているので、ひょっとして誰かの悪口を言いたかっただけじゃないのか?と勘ぐりたくなる。
教養とはそんなもんじゃない!ファスト教養だ、と言うけど言葉の使い方が変わっただけで、まあそんなに目くじら立てなくてもみんなわかってるよ、と言いたくなる。
それに、例を上げて個人攻撃している点については「教養がない」というより「品がない」のほうが正しいかも。
ちょっとネガティブコメントに終始してしまったが、2010年代あたりから「自己責任」という考え方が浸透してきて、ビジネスマンたちはいつも「うまくやる」ことを求められ、常に勉強をして頑張らないといけなくなった。
それ故にてっとり早くビジネス書の内容を知れるような勉強系Youtubeが大人気になっている、という説には納得。
自己責任、自己責任と言うけれど社会の仕組みが整っていないのに、責任だけ取るのは難しいとおもうけどなぁ。
あと、最近は税金を払っていない人に対するあたりが強すぎるという説も納得。
確かに、いろいろ言いたくもなるけどセーフティーネットの意味合いを忘れたらいけませんね。
と、いうわけでこの本の内容はちょっとどうかなと思う部分も多いが、鵜呑みにしない自分を確認できたので良かった。
【「教養=ビジネスの役に立つ」が生む息苦しさの正体】
社交スキルアップのために古典を読み、名著の内容をYouTubeでチェック、財テクや論破術をインフルエンサーから学び「自分の価値」を上げろ───このような「教養論」がビジネスパーソンの間で広まっている。
その状況を一般企業に勤めながらライターとして活動する著者は「ファスト教養」と名付けた。
「教養」に刺激を取り込んで発信するYouTuber、「稼ぐが勝ち」と言い切る起業家、「スキルアップ」を説くカリスマ、「自己責任」を説く政治家、他人を簡単に「バカ」と分類する論客……2000年代以降にビジネスパーソンから支持されてきた言説を分析し、社会に広まる「息苦しさ」の正体を明らかにする。【おもな内容】
第一章 「ファスト教養」とは?──「人生」ではなく「財布」を豊かにする
「ファスト教養」と「教養はビジネスの役に立つ」/「教養」と「金儲け」をつなぐ「出し抜く」第二章 不安な時代のファスト教養
「脅し」としての教養論/読書代行サービスとしての「中田敦彦のYouTube大学」/
世界のエリートのように「美意識」を鍛える必要はあるか/ファスト教養は「オウム」への対抗策になるか第三章 自己責任論の台頭が教養を変えた
「ホリエモンリアルタイム世代」が支えるファスト教養/勝間和代は自分の話しかしない/教養×スキルアップ=NewsPicks/
橋下徹と教養の微妙な関係/ひろゆきが受け入れられた必然/ファスト教養に欠落しているもの第四章 「成長」を信仰するビジネスパーソン
インタビュー1 着々とキャリアアップする三〇代/インタビュー2 大企業で自問自答する二〇代第五章 文化を侵食するファスト教養
「ファスト映画」と「ファスト教養」/ファスト教養視点で読み解く『花束みたいな恋をした』/
AKB48と「ネオリベ」/利用される本田圭佑/「コスパとエンターテインメント」の先に何を見出すか第六章 ファスト教養を解毒する
ファスト教養をのぞく時、ファスト教養もまたこちらをのぞいているのだ/
リベラルアーツとしての雑談、思考に必要なノイズ/「ジョブズ」を理解する受け皿になる
次に見たい映画
作中で言及されていた「ハナコイ」
学生の頃はイラストレーターになりたかった彼氏が、就職をしてだんだんすり減ってしまって、「パズドラしかできないんだよ!」とキレてしまう。
クリエイティブな活動も、今まで好きだった本も読めなくなってしまう。
読む本はビジネス書、自己啓発ばかりになって・・・というところは、
三宅香帆の「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」でも出てきていた。