西尾維新の「鬼怒楯岩大吊橋ツキヌの汲めども尽きぬ随筆という題名の小説 」を読んだ。
いやー、なんとも読む人を選ぶ作品。
実は初西尾維新だったのに、この作品でよかったのかとちょっと思うけど実はワタシ的には結構好きだ。
まず、タイトルの10文字目までがこの話の語り部である女性の名前(多分)である。
きぬたていわおおつりばし、までが苗字で「ツキヌ」が名前である(多分)
この話はとある脳外科医のペットシッターをしている「ツキヌ」の脳内から湧き出てくる「汲めども尽きぬ」思いをただひたすらに聞く小説だ。
随筆なので、サスペンス要素もホラー要素も、オチもない。
ただひたすら、飼っている猫の話をするだけなのだが、これがまず「顔のない猫」というちょっと何言ってるかわからない設定なのだ。
ここで、表紙のヒグチユウコのイラストを見てほしい。
なるほど、顔がない。
ここではあえて「面構えのない」猫とされている。そうされている理由についても長々と説明があった。
そう、この小説は過剰なまでに「各所に配慮した結果」ものすごく1つの言葉をこねくり回しながら進む、人に優しい小説なのだ。
人に優しいが、ストーリーらしきものもほとんどない上、登場人物の名前が奇天烈すぎる(もう一人の登場人物の脳外科医の名前は『犬走りキャットウォーク』だ)ため、脳が噛みそうになるし、話はすすまないし読者には全く優しくない小説なのだ。
脳い思い浮かんだことを、吟味する前に全て書きつけていくこのスタイル、何度も何度も出てくる謎めいた名前、圧倒的な量が読者を襲うこのスタイル・・・・どこかで読んだことがあるような気がするが、なんだっけ?
お話には起承転結がないと無理な人のには受けないかもしれない(私も割とそういうタイプだけど)
でも、暴風のような文章の中の猫についての考察がおもしろすぎて私は好きだ。
Youtubeのおすすめにネコの写真の一枚も上がってこないなんて人として扱われないほどの「猫ブーム」猫が好きでもきらいでもない者については「断罪」される、とか。
少々過激ではあるが、確かに猫飼いにとっては「猫アレルギーでもないのに猫がきらいなんてことある?」と思っちゃうところはあるかもしれぬ。
それにしても、何がどうなって、面構えのない猫なんてものが存在するのか。
こんなに語り尽くされたのに、何にもわからないまま話は終わるのだ。
ホント、最後までたどり着くものだけが手に入れることができる爽快な脱力感というか。いい意味で!
西尾維新が描く前代未聞の猫・小説!
鬼怒楯岩大吊橋ツキヌは脳外科医・犬走キャットウォーク先生の飼い猫の面倒を見るペットシッターとして働き始める。しかしその猫には秘密があって……。
次に読みたい本
とにかく語り尽くす本、という意味でこれを思い出した。
全く状況はちがうのだが、米原万里の「打ちのめされるようなすごい本」にも取り上げられていた一冊。