森見登美彦の「恋文の技術」を読んだ。
京都から石川県の水産試験所にやってきた大学院生の守田くんが、どんな女性もメロメロになる恋文を書けるようになるため「文通武者修行」と称してたくさん手紙を書く、往復ではなく片道書簡文学。
はたして恋文の技術を上げ、守田くんの片思いはみのるか?
何人もの友達へ送った手紙を並べる事により、どんな事件が起こったのかが立ちのぼってくる。
最初は親友、そして家庭教師の教え子、妹、美人で横暴な先輩、そしてへなちょこな先輩として描かれる森見登美彦氏本人との手紙のやり取り。
数多くの手紙を書いて、書いて、書きまくった末、彼は恋文の極意をつかむ。
それは「「恋文を書こうとしないこと」であります。どうせ僕の恋心は忍べませんから。」
最後は、どうしても書けなかった意中の相手、伊吹さん宛の手紙で締めくくられる。
ジタバタした青春がとてもかわいらしい青春小説。
あとがきにて、時代に逆行した手紙を書くという行為を「書簡体小説」として書いた理由を作者が語っていた。
なぜこのメールやLINEの全盛期にわざわざまどろっこしい手紙を書くのか。
それはぼくがそもそもまどろっこしい男であるからでもあるが、じつは夏目漱石の書簡集がおもしろかったので、とにかく真似しようと思ったのです。
とのこと。どおりで「なんだか夏目漱石っぽい!」と思ったものだ。
どこがどうとは言えないし、そもそもそんなにたくさん夏目漱石の本を呼んでいる訳では無いが「吾輩は猫であるみ」を彷彿とさせる文章。
ちなみに、本当に恋文の技術を書いたハウツー本と勘違いしないよう、あとがきの最後の言葉は「教訓を求めるな」であった。絶対誰も勘違しないと思う。
次に読みたい本
これは、・・・なかなか。ラブレターとして自分史が送られてきたら・・・困惑!ってかんじだろうなぁ。面白いが付き合いたくないというか・・・