平野啓一郎の「富士山」を読んだ。
初読みの作者さんだ・・・・とばかりおもって検索してみたら、「ある男」と「マチネの終わりに」の人だった。
読んだけど(しかもどちらも結構面白かったのに)作者に対しての思い入れ名がなさすぎてちっとも覚えていなかっただけだった。なんかすまん。
富士山は思ったよりもずっと読みやすい短編集だった。むしろユーモア小説と言っても良いはなしや、SFチックな話などバラエティに飛んでいる。
富士山の目次
富士山
息吹
鏡と自我そう
手先が器用
ストレス・リレー
とても短い話だが、「手先が器用」は良かったな。
小さい頃言われた「〇〇ちゃんは手先が器用だから」という言葉を信じて、自分は手先が器用であるということを小さな誇りとして成長する女性。そうして自分の娘に同じようにあなたは手先が器用だから、という声かけをするのだ。
これぞ、世代を超えた良い意味での言葉の呪縛だと思う。
母親から娘への言葉の呪いがネガティブなパターンであれば悲劇だが、こんな幸せなつたわりかたもあるんだな。
「息吹」はひょんなことから命が助かったと信じる男が、その偶然を何度も何度も思い返すうちに狂気に囚われていく話。いや、本当はそうではないのかも知れない。
何度も目が覚める多重夢のように、真実がなにかわからない。最後のページを読む限り男は死んでしまうのだろう。それとも、残された妻の狂気なのかもしれない。
大腸内視鏡検査にめちゃくちゃ詳しくなれるという一面もある。
「ストレス・リレー」はストレスを感染症のように表現したショートストーリー
きっかけは、コーヒーショップであからさまに順番を飛ばされた男の積もり積もったストレスが、蕎麦屋の店員にぶつけられ、それをなだめる母親に伝染り、母親が腹いせのように無視したメールのせいで、地元の高校の同級生がイラッと来て、後輩を飲みに連れ回し、後輩の男性がタクシー運転手に嫌言を言って・・・とどんどん人にストレスが伝播していく様子を淡々と書き記してある。
でも最後にはストレス耐性のある女性がもろにあびたストレスを食い止め、それなりにごきげんな休日を過ごすことでストレスパンデミックを食い止めるのだ。
いや~ストレス耐性ある人強い。
あり得たかもしれない人生の中で、なぜ、この人生だったのか?
『マチネの終わりに』『ある男』 『本心』の平野啓一郎、10年ぶりの短篇集。
些細なことで、私たちの運命は変わってしまう。
あり得たかもしれない幾つもの人生の中で、
何故、今のこの人生なのか?その疑問を抱えて
生きていく私たちに、微かな光を与える傑作短篇集。
収録短篇の内容
「富士山」 ── 結婚を決めた相手のことを、人はどこまで知っているのか。
「息吹」 ── かき氷屋が満席だったという、たったそれだけで、生きるか死ぬかが決まってしまうのだろうか?
「鏡と自画像」 ── すべてを終らせたいとナイフを手にしたその時、あの自画像が僕を見つめていた。
「手先が器用」 ── 子どもの頃にかけられた、あの一言がなかったら。
「ストレス・リレー」 ── 人から人へと感染を繰り返す「ストレス」の連鎖。それを断ち切った、一人の小さな英雄の物語。
次に読みたい本
今日会社帰りに久しぶりにブックオフを覗きゲットしたコチラの本。
表紙がぜんぜん違うし、出版社も違うので相当古いのかも知れない。
最初は山岸凉子の本とは思わなかった。
100円コーナーの一番端っこで推しの本を見つけた時こそ漁師の気分。
疲れが吹き飛ぶわね~ホクホクですわ。