坪倉優介の「記憶喪失になった僕が見た世界」を読んだ。
小説や漫画(特に昔の少女漫画では)よく出現する「記憶喪失」だが、実際に本当に我が身に記憶喪失が起こった人はなかなか聞かない。
この本は、18歳の時に事故の後遺症で記憶喪失になった本人が当時の様子を綴ったエッセイだ。
おそらく、ドラマ化したら相当な数のエピソードだと思うのだが、本人は意外と落ち着いてて、むしろドラマティックに自分のことをひけらかすのを嫌い、記憶喪失のことを聞かれるのが嫌だったようだ。
記憶喪失にも色々あるとは思うが、彼の場合は、日本語は分かるけども、ものの名前や仕組み全て分からないところからスタートだったらしい。
ごはんが分からないので、光るつぶつぶ、と思ったらしいし、食べるという行為もこうやるんだよ、と実演して見せなきゃならない。
それこそ身体は18歳の男の子だが、赤ちゃんのように最初からなのだ。
お金のことも、キラキラしたやっとさびてて汚い奴、みたいな覚え方で迷子になったりお金を使いすぎてしまったり、目が離せない。
事故前と性格も変わったそうである。
以前は、髪の毛を立てて自分で龍の絵を描いたジャケットを着て、要するにかなりの悪そうな強そうなタイプだったのに、事故を境に人の顔色を伺う穏やかな人格になってしまったのだそう。
分からないことが多すぎでついつい聞きすぎて相手をうんざりさせてしまう。
そのせいで敬遠されてしまうのが自分でも分かるので、分からなくても相手と同じように振舞っていたそうだ。
人が笑っていたら同じ程度笑い、考え混んでいたら同じ程度考えるふりをする。
しかも記憶喪失だからといって、世間がみな親切だったり、ちやほやして貰える訳では無い。
厳しい現実も感じた。人は、最初は驚き関心を示すが、分からないことを辛抱強く教えてくれるわけでもないし、許してくれる訳でもない。
この世知辛さはフィクションだからこそだと思った。
なんとか記憶を取り戻し事故の前に戻りたいと躍起になっていた彼も、今ては随分と歳をとり、記憶を取り戻したいとは思わなくなったそうである。
それよりも失った記憶と引替えに現在の記憶が消えてしまうことを恐れているそうだ。
記憶喪失とかドラマティック、と思っていたけど結構厄介な障害なんだね。
リアルに異世界に飛ばされたような大事件。
間にお母さんの当時の邂逅も挟まれていて、大変だったねーと言いたくなる。
現在48歳の坪倉優介は、今から30年前、大阪芸術大学1年生のときに交通事故に遭い、
記憶だけでなく、食べる、眠る、トイレなど、生きていくのに必要な能力を失い、お金や漢字まで忘れてしまう。
それはまるで、18歳の赤ちゃんと同じだった。目の前に出されたお米は、「きらきら光る、つぶつぶ」としか思えなかった坪倉には、世界はどのように見えたのか……。
目の前に立つ「オカアサン」という女性のことを、
どのような経験を積み重ねながら、心から本当の「お母さん」と呼べるようになったのか……。やがて大学を卒業して、京都の染工房に就職。
草木染職人として修業を積んだあと2005年に独立、「優介工房」を設立。
桜、笹、どんぐりなどを刻
次に読みたい本
本の探偵の話である。
Twitterで昔読んだ曖昧な記憶から本のタイトルを当てるアカウントがあるらしく、その活動記録。あ、Xか。