坂口安吾の「白痴」を読んだ。
体験した者にしか書けないであろうリアル空襲の描写にガクブルだった・・・
主人公伊沢は映画の演出家で「表現者である俺」を自負しているのだが、一方で月給の心配をしている。
そんな自分がイヤで仕方がない。いっそ、戦争がすべて焼き尽くせば良いと思っているのだ。
そんな、自暴自棄と保身の綱渡りをしている彼の部屋に、いきなり隣家の嫁が逃げ込んでくる。
彼女は白痴で(これ、今の使っていい言葉で言うとなんなのかしら?)とても美しく品が良いのだが、少々足りない。
最初は、姑のヒステリーから逃れてきたのだろうと思い、匿ってやるつもりだったが彼女は実は彼が自分を愛してくれると思って彼の部屋にやってきたのだった。
その日から、彼は白痴の女を部屋に隠して何食わぬ顔で生活を始める。
しかし彼女を愛しているとかではなさそうで、まるで家具が一つ増えたくらいかそれ以下などと平然とうそぶくのだ。
そのくせ、彼女が部屋にいることを知られるの極端に恐れ、空襲のときも誰にも見られないように最後まで居残る。
その空襲の最中の描写が本当に怖かった・・・人間も焼き鳥のようなものだと。
極限状態であるはずなのに伊沢は冷静に燃えさかる街を表現する。
それでも、彼は女と生きるために必死で走る。走りながら、
なんて、とっても素敵なセリフを吐くのだ。
今までほとんど意思表示のなかった彼女がごくんと頷いたことに彼は激しく感動する。
しかし、命からがら逃げ延びて休んでいる最中に彼女が寝ている様子を見て
「まるで豚のようないびき」だと思い、それでも「彼女を捨てることすら面倒くさい」と思うのだった。
どうしてそんなにひねくれたか伊沢。と思わんでもない。
きっと二人は生き延びて長生きして平和な時代になっても二人で暮らしていると思う。というか、そうであってほしい。
戦争は怖い。そんなシンプルな小学生のような感想で申し訳ないが、この本を読んでほんとにそれが一番に来た。
極限を知った人たちに対して、私達の敬意は足りていないんじゃないかと反省した。
青空文庫で小一時間で読めるので、ぜひ。
昭和初期に活躍した「無頼派」の代表的作家である坂口安吾の小説。初出は「新潮」[1946(昭和21)年]。映画会社に務める伊沢は、豚と家鴨が同居する珍妙な下宿に住んでいる。そのとなりに住む白痴の女が突如部屋に現れたことから、彼の生活が変った。戦時下の異様な時間間隔と、立ち上る身体性をセンセーショナルに描き、文壇だけでなく終戦直後に多くの人から注目を集めた。
ちなみに、「白痴」で有名なのはもう一つドストエフスキーの「白痴」だが、
なんかの本でバーテンダーが白痴を読んでいて主人公が「ドストエフスキーの白痴」だと思って話しかけたら「坂口安吾のほうの白痴だ」といわれるシーンが有って、やたらかっこよかったんだけど、なんの本だったか?
ハードボイルドだったような・・・原寮だったか、伊坂幸太郎だったか。
ああ、脳がかゆい!!
でも、確かこのバーテンダーは「白痴」を何回も読み直しているって言ってた。
何度も読むほど好きな本を持っているのって少し憧れる。