以前、職場のポットに毒を入れる事件が立て続いたことがある。
そんなことしたら犯人はおのずとすぐに判るようなものなのに、
事件を知り、自分も同じことをしようと思った人がたくさんいたのだ。
この本は、そんな物質として無差別連続毒殺で始まるが、
だんだんと、土地や人間に、毒のようにしみこむ
負のエネルギーの話になってくる。
主人公の杉村の所に新しく入ってきたアルバイトの女性は
履歴も経歴もうそで、自分の間違いは決して認めない。
感情のコントロールも出来ない。
自分のなりたい自分とそこに届かない自分とのギャップが大きければ大きいほどに、
それは怒りという感情になり、彼女は他人を傷つける。
トラブルを起こした彼女の父親が杉村に謝罪をおとづれる。
そのときの杉村の気持ちは私にもよく判る。
子供の罪は親の罪。思ってしまうのは思い上がりだろうか。
子供は、お母さんには関係ないと思うだろう。
(少なくとも子供としての私はそう思う)
実はうちの職場には他人や制度への不平や不満を職場で撒き散らす人
というのがいる。
気にしなければいいとよく言われるけれど、
どうしてもいやな気分になるのは、誰も相手にしなくなった彼の
口から吐き出した言葉が、誰に向けられたものでもないからこそ
行き着くところをなくし、私の心にも毒となって少しずつ染み込むからではないだろうか。
脳の中心にある古い脳は主語を理解しないという。
彼が国や職場、自分以外のすべてに毒を吐き続ける限り
私は毒を体内に溜め込むことになるのだ。
そして、私たちは理不尽なその仕打ちに対して
何も出来ない。もしかしたら形を変えて私のかぞくや幼い娘への対応に出ているのかもしれない。
はぁー深くため息して、心のデドックスをしたいものである。
それにしても、単行本は終わりのページが眼に見えるからこそ、
ハラハラする。久しぶりに読み終わるのが惜しくてでも、
想いが眼球の動きを追い越して空回りするようなそんな本に出合えた。
宮部みゆきという人と同じ時代に産まれたことをうれしく思う。